「幸せの座席」
謹賀新年
皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、先日、通勤電車の中で、「次で降りますからどうぞ」とやさしい声で席を譲ってくれた若い女性がありました。私を年寄り扱いした訳でもなさそうでしたので「ありがとう」と礼を言って座らせてもらうことにしました。少しばかり赤くなった彼女の横顔をみて、私は子供の頃に一人で乗ったバスの中で、風呂敷包みを下げた痩せたおばあさんに席をゆずってあげた時のことを思い出していました。
それは、小学五年生の私にとって初めての行為であり、とても勇気のいる経験でした。何かに促されるように、顔を真っ赤にしながら席を立ったものでした。私にかわって席に座ったおばあさんは、少しだけ微笑んで私に頭を下げてくれました。小学生の私の胸のうちには、それまで味わったことのなかった感情がひろがりました。それはこみあげてくる喜びであり、とても温かく、例えようのない充足感でもありました。その感動は、私とそのおばあさんとの間に起こったいのちの通い合いだったのかも知れません。
生長の家の教えは、「人間・神の子」の尊い真理をもって、他の多くの人々に「幸せの座席」を与えていくためにあるのではないかと思っています。また「神の手足」となって喜んで働かせていただこうとの思いが、結局は吾々とその家族をも豊かにし、「幸せの座席」に座らせてくれることにもなっているようです。
生長の家創始者・谷口雅春先生は、ご著書『生活の智慧365章』において、次のようにお説きくださっています。
人の富を、その外形的な数量的な物質や貨幣の量によってはかってはならないのである。すべての富は物質の量ではなく、天の倉に貯えられたる霊的なる「徳」であり、その眼に見えざる「徳」が必要に応じて物質的な富として形をかえて現象界にあらわれて 来るものなのである。(中略)「徳」を行じ「徳」を実現するとき、おのずから経済的 にも豊かに「其の実相の富」を此の世に実現することができるようになっているのである。 (「天の倉に貯えられた徳」185頁より)
利己的な現象の損得や肉体の快、不快ばかりにとらわれてしまうのではなく、神の子としての純真さを失わず、そして生長の家のみ教えがどれ程に尊く素晴らしいものであるのかを日々に確かめつつ、生活の随所に他の人に与える喜びを実感できるよう、生きていきたいと決意する次第です。
年頭のご挨拶とさせていただきます。
皆様のご健勝を心からお祈り申し上げています。 拝
|