「天の倉に徳を積む」
黄金色に染まる田圃。おいしい柿やミカンを実らせてくれる木々。そして畑ではたくさんの野菜が収穫を待っています。人々の知恵と努力の賜であることは言うまでもありませんが、決してそれだけではありません。人間の知恵や力だけでは到底及ばない偉大なる働きがそこにはあります。われわれにとって、天の恵み、地の恵みというものが如何にありがたく尊いものであるかということを感じるところです。この偉大なる力、神の愛、仏の慈悲というものがなかったら、われわれは米の一粒も食することができず、一日たりとも生きてはいられなかったのだということなのです。
この神の愛、仏の慈悲はもらいきりではいけません。われわれは決して恩知らずであってはならないからです。一般に恩知らずな人は嫌われます。自分さえよければよいというような利己主義者も嫌われます。嫌われ者が本当の幸福を得るという道理は何処にもありません。人々は何故、恩知らずな人や利己主義者を嫌うのでしょうか。実は、人は皆、知っているのです。心の奥底で、恩知らずな利己主義的な生き方は本来の人間らしい生き方ではないのだと言うことをちゃんと解っているのです。
生長の家には「与えよ、さらば与えられん」との教えがあります。神の子らしく、神にならって、「与える愛」を生活に実践する人こそが真の幸福生活を実現する人となる、との教えです。
生長の家創始者・谷口雅春先生は、ご著書『生活の智慧 365章』において、次のようにお説きくださっています。
人の富を、その外形的な数量的な物質や貨幣の量によってはかってはならないのである。真理を知ったところの人は、すべての富は物質の量ではなくて、天の倉に貯えられたる霊的なる「徳」であり、その眼に見えざる「徳」が必要に応じて物質的な富として形をかえて現象界にあらわれて来るものだと云うことを知っ ているのである。人間は神の最高の自己実現としてつくられたものであるから、 神が人間を貧しくつくるようなことをしたまう筈はないのである。神は人間を最高の自己実現として、最高の「徳」を実現することを目的としていられるのであるから、「徳」を行じ「徳」を実現するとき、おのずから経済的にも豊かに「其の実相の富」を此の世に実現することができるようになっているのである。
(「天の倉に貯えられた徳」185頁)
神の愛、仏の慈悲に感謝し、天の倉に多くの徳を積む生き方を実践しましょう。小さなことからでよいのです。まずは、家族の方々をはじめ、周囲の方々に、愛の心、慈しみの心をもって接するようにしては如何でしょうか。愛深い言葉づかい、心のこもった行為、そして、自然にも優しい生き方の実践。結局は、この生き方こそが一層の幸福を家族にもたらし、周囲の人々をも幸福に導くことができるのです。
このすばらしい生長の家の教えを学ぶ場に、より多くの方々がお出かけくださるよう、念願して止まないところです。
平成19年9月
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