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誌友会に参加しよう
河内彬(長崎南部教区、68才)
■プロフィール
役職:相愛会教区連合会長、地方講師
家族:夫人、義母、1男2女
趣味:園芸
好きな言葉:真実一路

誌友会を続けて31年
母の遺志を受け継いで

 私は旧満州国で生まれました。父は同国南部の通化県副知事(当時)をしていたのですが、それが災いして終戦の時、中国軍に捕らわれて処刑されました。
 翌昭和21年、当時、小学校2年生だった私はリュックに父の遺骨を入れ、母や妹二人と母の実家がある長崎県長与町に引き揚げ、それから母は町役場に勤めながら女手一つで私を大学に行かせてくれました。
 そんな42年、私は家内(由紀 65)と結婚。当時、母は既に生長の家に触れていましたが、夫を亡くした寂しさも手伝ってか、家内と折り合いが悪くなりました。ところが、近所に住んでいた地方講師の勧めで、家内がゆには練成道場(当時、福岡市)の練成会に参加。それを機に同じ信仰を持つようになった二人は、急速に仲の良い親子になったのでした。
 その姿を目の当たりにして興味を抱いた私は、長与相愛会の誌友会などに参加して教えを学ぶようになり、50年に長与北部相愛会の会長を拝命して自宅で誌友会を開催するようになったのです。

■どんな時も誌友会の開催を第一に

 長与相愛会の誌友会以来、ほぼ毎月誌友会を開催し続け、今年で31年目を迎えました。現在は毎月第三木曜日の午後7時から9時まで、先祖供養(30分)、講話(1時間)、最後に参加者の皆さんと座談会を行っています。
 一番の特色は先祖供養。これは長崎南部教区が伝統的に誌友会に取り入れているもので、毎回、5人から7人の参加者全員のご先祖さまの供養をするので、「先祖が喜んでいると思うとうれしい」などという感想が多く聞かれ、とても好評です。
 誌友会を開くことで大きなおかげも頂きました。
 52年、長年勤務したメッキ会社を退職する羽目になった時のこと。かんしゃく持ちの社長から当たり散らされていた私は、ある日突然、東京支社への転勤を命じられ、腹が立って辞表を出してしまったのですが、その後の仕事が見つからず、九歳を頭に三人の子供と妻を抱えた私は焦りました。それでも誌友会だけは毎月開き、生長の家総本山(長崎県西海市)の龍宮住吉練成会にも参加。浄心行によってその社長を心から許すことができると、それから8カ月後に、辞めた会社の取引先だった鉄工所の専務から「あなたが必要だ」と声をかけられ、幹部として迎えられたのでした。
 私を生長の家に導いてくれた母は、私たち夫婦に「これからも生長の家を信仰して…」という遺言を残して、六十二年に亡くなりました。ですから私は、誌友会を開き続けることは私の使命だと思っており、家内もそんな母の遺志を受け継いで白鳩会の地区総連合会長として活躍してくれています。

■新人の参加で活気づいた誌友会

 こうして開き続けてきた誌友会ですが、六十歳以上の参加者が多く、「なんとか若い人を」と祈っていたところ、一昨年の暮れ、父親教室に参加していた柿田仁孝さん(41)という人と出会いました。
 そのころ柿田さんは青年会員だったのですが、「ぜひうちの誌友会に」と誘うと、翌年一月から参加してくれるようになり、その後、相愛会員になりました。柿田さんは、「誌友会は楽しい」と言ってくれており、うれしいかぎりです。
 また、今年(平成18年)1月には、新人の岩永嘉光さん(62)が参加してくれました。岩永さんは、昨年10月30日に開催された長崎南部教区の講習会に初めて参加して、生長の家副総裁・谷口雅宣先生の環境に関するご講話を聴いて、「時代の先端を行く活動だ」と感銘したばかりでなく、体験談にも感動。以来、教化部で行われる早朝神想観に参加するようになり、そこで私と知り合って誌友会に来るようになったのです。
「私は日蓮宗を信仰していますが、生長の家の万教帰一の教えに引かれました」と語る岩永さんは、今年1月に相愛会員となりました。  こうして二人の新しい仲間を得て誌友会も活気づいてきました。これからも新人を増やしながら誌友会を末永く開き続けていきたいと思っています。

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