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 澤田 伸史(生長の家本部講師)

 

午後11時過ぎ、こんな時間にめったに鳴ることのないわが家の電話は、大きな音で鳴り響いた。

「こんな時間に誰だろう・・・」

 「何か緊急か?・・・」

そう思いつつ私は受話器を取った。

 

するといきなり電話口から

「キャー 助けて!」

「おとうさん、どうしょう!」

「はやく何とかして・・・」

と、泣きじゃくる長女の声である。

 

とっさに私は

「おいおい、とうとう我が家にも振り込め詐欺か・・・振り込みたくても金なら無いぞ」

と、その声を一瞬疑った。

がしかしまぎれもなく二十歳(当時)になる長女の声である。

「どうした、どうした」

との私の言葉に

長女は

「おとうさん・・・」

 

次の瞬間私は思わず大爆笑してしまった。

それは、今までに見たこともない大きなゴキブリが家に現れたとのことである。

私は泣きじゃくる長女の声をよそに、暫く大笑いが続いた。

いくつになっても子供はかわいいものである。

 

昨年12月、当時東京に住んでいた我が家族に転勤の話が舞い込んだ。

私は、仕事の責務の重さへの不安もさることながら、娘たちとの別居生活に自分は絶対に耐えられないと考え悩む日々が続いた。

日頃から私は、娘たちへの執着が人一倍強いのではないかと自分でも感じていたとともに、いつかは子離れをしなければいけない時期が来ると思う、やたら寂しくもあった。

 

まだ長女が小学校5年生の頃、初めてバスに乗って友達と映画を見に行くと言い出したとき、無性に心配が込み上げてきて、最初は頑固オヤジのごとく

『危ないから絶対にダメ』

と猛反対していたが、妻の強い説得もあり最終的には渋々承諾したものの、とにかく長女が心配でたまらない。

そしてその当日、長女が友達と元気よく家を出たのを確認し、私はこっそり後を追った。

そしてバスに乗車するのを遠くから確認し、そのバスの後を30分程車で追いかけた。

さらにバスを降りた娘たちに気づかれぬよう尾行し、入場券を買って映画館に入るのを確認し、ようやく安心して帰宅した。

もうここまでくると完全にストーカーである

長女を追う自分が情けなくも感じた。

 

その頃すでに生長の家を信仰していた私は『子供の教育法』や『本当の愛とは』などを学び、時には講師として『愛は執着することではない』『放つことが愛である』等を指導させていただいていたにもかかわらず、こと娘に対しては別と考えていた。

それほど娘たち、わが子供への執着が強い私であったので、どんなことがあっても、子供たちとの別居は絶対に無理と思っていた。

また、日頃娘たちは、朝起きも苦手、炊事、洗濯、掃除等の家事を妻に任せっきりでほとんどしない毎日だったので、姉妹二人で生活出来るのかも心配であった。

 

転勤が決まってから引っ越しまでの3ヶ月間がめまぐるしく過ぎていった。

東京を離れる私たちの準備より、娘たちの新しい生活への準備にほとんどの時間を費やした。

長女は、

「お父さん、無駄な準備はいらないけれど、神棚と仏壇だけは準備していってほしい」

との言葉をよそに、

『これも、あれも用意してあげなきゃ・・・~は大丈夫か・・・これも準備してあげよう』

と心配しながら考えると、娘たちと別れて生活をする寂しさも伴い、次から次へと準備(余計な?)を進めた。

 

ある程度娘たちへの準備が終わった頃、いよいよ別れの日である。

涙が込み上げてくる。

妻、娘たちも別れを惜しむかのように泣いている。

 

その後、私たち夫婦は釧路へ赴任した。

赴任後も毎日、娘たちの生活が心配でたまらないのである。

『朝はきちんと起きているのか』

『食事はしているのか』

『洗濯は大丈夫』

『掃除は・・・』

等々、心配は尽きない。

 

毎日何度も

「もううるさい!、そんなに心配しないで」

と子供に言われるくらい娘たちに電話やメールで頻繁に連絡をとった。

こんな心配性の父親がはたしていつ子離れが出来るのだろうか。

 

<<以下、解説に続く>>

(生長の家相愛会「父親教室」HPの「今月の講義」2005.11公開)


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