「隠された宝の発見方法」
相愛会総轄実行委員会
委員長 澤田 伸史
北海道、東北地方には、「みったくなし」「みっだぐねぇ」といった方言があります。
これは、「見るに堪えない」「みにくい」という意味の言葉です。その語源となったの
は、ある果物なのです。かつてその果物を「みったくなし」と呼んでいました。それは、
見た目が悪く、食べたくもない梨という意味でそう名付けられたのです。見た目だけでは
なく、実際に食べてみてもとてもマズかった。だから、食べる人はなく、せっかく実った
梨は、ほとんど捨てられていたのです。ところがある時から、その「みったくなし」が俄
然注目されるようになったのです。それは捨てておいた梨が次第においしそうな匂いを放
ち、食べてみると感動的に美味しかったのです。熟すると美味しくなるのを誰も知らなか
ったのです。この梨は木で熟するのを待っていると水分も味もなくなります。かといって、
もぎたてが美味しいというわけでもありません。収穫後に熟すまで待つことが必要だった
のです。しかも食べ頃を過ぎるとすぐに腐りはじめるので、最適な時期を見極めるのが難
しい果物でした。しかし、食べ方はわかっても、「みったくなし」という名前のままでは
たぶん売れないだろう。そこで、新たにつけられた名前が・・・「ラ・フランス」。いま
や高級果物として全国で有名になっている、あの梨です。このように、見過ごされている
ものの中に、実は「宝」が眠っていたりするのです。同じことが自分自身にもいえます。
人は自分の長所には意外にも気づいていなかったりします。この見過ごしている自分の中
の「宝」に気づく簡単な方法があります。それは人前にでることです。そして、人から頼
まれたことを大切にすることです。自分の長所は自分からはなかなか見えない、まわりの
人のほうが、あなたの長所をよくわかっています。だから人から何かを頼まれやすい人に
なればいいのです。そして何かを頼まれたとき、明るく「はい、喜んで」と素直にいい続
ける。すると次第に自分の足元が見え、気づいたときには、あなたの足元はピカピカに輝
き、自分の中に隠れていた素敵な宝物が必ず見つかるはずです。
★★★「真理の言葉」★★★
如何にその出来事が、一見耐えがたく苛辣なものに見えようとも、神は我々に不必要なも
のを与え給わないという信仰にしっかりと掴まって居るならば、耐えがたき苦き杯が、い
つの間にか甘き葡萄酒にかわっており、まことにあの体験があってよかったと、歓喜する
ときが来るに相違ないのである。
(『新版 叡智の断片』52頁より)
「私たちの生活に起こるすべての出来事は、自分をより高くより良き心境に魂を深めてく
れるものだ」と素直に受け入れられる心は、善一元の神への全託に他なりません。
実相の完全円満さを観る神想観を日々実修することは、あなたの素直な心を育むこととな
るでしょう。