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プロフィール

 子供に本来宿る神性・仏性を礼拝し、コトバの力によってその無限力を引き出すことは親にとってとても大切なことです。人間は皆すばらしい本質を持っている神の子であることを、生長の家の御教えによって知らされ、その自覚を深めるために信仰生活を実践している人たちは大変幸福です。現象面で子供にどのような問題が起こってきても、それによって何かを学び、子供と一緒に生長できる“喜びの人生”を歩むことが出 きるからです。

 私は昭和63年6月、初めて教化部長として赴任した広島教区で、3ヵ月経過した9月1日の朝のことです。中学三年の長女が、「頭が痛いから今日の2学期の始業式は欠席する」と突然言い出し起きて来ないのです。
 私も妻も学校を休むことは子供時代には殆ど記憶になく、これは長女の単なる“我がまま”と思いました。
「早く起きて登校しなさい!」
私は語気を強めて、というか叱るようにして家を後にしていました。

 しかし、長女は言うことを聞かず、とうとう学校を欠席してしまいました。その日の業務を終えて帰宅し、妻に長女の様子を尋ねると、午後から起き出して家族と一緒に会話するようになり、普段と何ら変わ らなかったとのことでした。「翌日からは登校するでしょう」と。私は妻の言葉を聞いて、少し安心しました。

 ところが、翌朝の長女はまた前日朝と同じ、「今日も頭が痛いから学校を休む」と言い出すのです。私は昨夜妻から聞いていた様子からは考えられないため、「学校を休むことはよくないから、頑張って行きなさい」と再三言うのですが、長女は黙りこくったままでした。私はその時もこれは長女の我がままだと一方的に思っていたのです。

「こんなはずはない。きっと明日から元気に『学校に行く』って言ってくれるに違いない」、そう言って、自分に言い聞かせたりもしました。 しかし、この状態は、次の日も、その次の日も同じようにやってきました。 

 その間、私は教化部長として、また生長の家養心女子学園の校長という要職を頂きながら、「何ということか」と、人知れず悩み、長女の事を誰にも打ち明けることが出来ませんでした。

 長女には、ある時は「貴女は神の子ですばらしいのだから、何でもできる無限の力を持っているので、決して悲観することはないよ。同級生と一緒に頑張ってごらん。」という励ましのコトバを積極的にかけてみたりしました。
 また、父親としては優しさだけではだめだ、厳しく言うことも必要だと考えました。

「どうして学校へ行かないの、お父さんお母さんは貴女だけに関わってはおれないよ。他の子供たちもいるからね。」と時々叱ってみたりもしました。こうして、長女の毎日に心を振り回されている状況がしばらく続きました。
 そのうち、私達夫婦は「長女の実相を観て、自ら行動するまで信じて待とう。」と話し合い、それからは日々長女の実相を祈ったのでした。

 2学期も終了する12月に中学校から、私達夫婦に呼び出しがかかりました。校長と担任及び保健の先生から長女の毎日の様子を聞かれ、将来のことについて父親としてどのように考えているのか意見を求められました。私は、「長期欠席が続いているため、中学3年をもう1回やり直してもよいと考えています。」と返答をしました。

 私の考えをじっと聞いていた保健の先生、彼女は長女が不登校で一週間経ったときに、自宅まで来てくれてカウンセリングを行ってくれた人なのですが、その先生から、「貴方は父親として、娘さんが学校に行きたくても行けない心を持っていることを何で解かってあげないんですか。」と強く叱責されました。その言葉が自分の心の中にぐさっと突き刺さりました。

 本部講師である自分は、仕事の上では、白鳩会母親教室に出講する講師の勉強会で、「不登校などいろいろな問題があっても、親はその子供の神性・仏性なる実相を観じて愛語、讃嘆のコトバで引き出し、信じて待つよう指導してください。」と指導しておきながら、自分の子供になると 、その問題に執らわれてなかなか解決に導くことができないことに情けない思いをもっていたのです。保健の先生からソコを突かれた思いがしたのでした。

 しかし、長女の不登校はそれから7ヶ月(2学期と3学期)も続いてしまい、卒業式も出席しないまま中学校を終えてしまいました。

 今思えば、その7ヶ月は親の尺度で子供を見ないで、あくまでも子供の完全円満な本当の姿である“実相”を観じ、コトバの力によって引き出す訓練の期間でありました。
 それは、親の転勤に伴い、やむなく東京から広島に転校となった長女の心に、環境の違いからくる対人関係の悩み等で誰にも打ち明けられず孤独となり、不登校の心になっていることを、父親の私は残念ながら転校の経験がなかったために理解できていなかったのです。

 長女のことで、私も父親としていろいろ学ぶことができました。公立高校の入学は残念ながら叶いませんでしたが、私立の女子専門学校に入学できて3年間通い、その後短期大学を卒業して社会に巣立ち、今は一児の母として子育てに仕事に頑張っています。

 女子専門学校で学んでいる時に、青年会の方から誘われて女子青年一泊見真会に参加したことがきっかけで、生長の家の御教えに改めて感動し、他人の心の痛みを肌で感ずる娘になりました。特に、不登校のことを聞くとその子供のところまで出かけて行って、いろいろと相談に乗ってあげるような優しい面も現れてきました。

 これも生長の家の御教えに長女が導かれたことにより、生き甲斐ある人生への転回となったのでした。この体験は、父親として子供の実相を観じ、どんな問題が出てきても神の子の実相が顕れるまで、信じて待つことで大切であることを学ぶことができた貴重な 体験となり、財産となりました。
                                                                   (平成
14815日記)

イラストレーション 小関隆史

++解説++

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