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プロフィール

 最近、目立つのが若者の髪の色と奇抜な髪型。親の世代からは奇異に見える、こうした“髪のパフォーマンス”は、七三分けを基調にした私たち親の世代には、「目立ちたがり」「個性の喪失」「自信のなさの裏返し」などと映るため、とかく批判したくなるものだ。中には、自分の子の奇抜な髪形や髪の色に慌てふためく親もいる。実は、その一人に私もなったことがある。

 私は男女2人ずつ4人の子供に恵まれているが、長男が一時、髪を染めた。
 大学の卒業を数カ月後に控えたある日のこと、長男がまばゆい金髪頭で目の前に現われた。街で金髪頭の若者を見ても、それほど気にはならないが、息子となるとそうはいかない。“黄金に輝く髪”に、動揺した私は、そんな思いを極力押し殺しながら話しかけた。

「なにその頭、だいじょうぶ?」
「ファッションだよ」
「で、どうするの? このままで街を歩く気?」
 すると、ばつ悪そうにこう言った。
「いいじゃないか! いろいろやってみるのさ」
「なんで?」
「学生時代しか、できないでしょう」
「ふーん」

  こんなことで、ひとまず会話は終わったが、私の気持ちは収まらない。そこで、2つ違いの妹に聞いてみた。
「あれ、絶対可笑しいよね」
「本人が“失敗した。やりすぎちゃった”って言ってたよ」
「そう。ところで、ああいう髪、どう思う?」
「私はわざわざ染めようなんて思わないけど、いいんじゃないの、やってみたいんだから……そのうち止めるでしょ」
 悟りすましたような娘の言葉に、妙に納得した私ではあったが、長男には、
「家の出入には帽子をかぶってな!」
 と言ったら、黙殺された。

 その瞬間、「親の言うことを聞けないのか」という、不快感を伴った思いが発生した。日常生活では、程度の差こそあれ、こうしたことは多々あることだが、こんなときこそ、教えを実践する時だ。
 私は瞑目して、心の中で、完全円満な大調和の世界を観じた後、“自分の心”の動きをじーっと観察してみた。

 そうして分かったことは、不快感を伴った情動は、「子供を自分の所有物とする意識」によって、私の意志とはかかわりなく自動的に発動したものであること、そして、その感情を増幅させているのが「世間体」である──ということだった。
 深層心理学では、「髪」は「上」(かみ)を意味し、「目上」「先祖」「父親」「神」などを象徴するものである。が、息子の行為は、私がこうした捉え方に立って“尊ぶべきもの”としている「髪」=「目上」「先祖」「父親」「神」などを、単なる“ファッションの道具”と見なし、結果的に、私の価値観を否定した。それが私に不快感を起こさせたのだった。

 が、親子の年齢差があれば、お互いに「価値観や好みが異なる」のは当たり前だから、それをそれとして認めていれば、短絡的な情動につながらなかったはずだ。にもかかわらず、不快感が生じたのは、私が子供を“自分の所有物”と見なしていたからだということに思い至ったのだ。持ち主に従うべき所有物が逆らったからこそ、不快感は生じたのである。

 さらに、もう一つ、猛烈な速度で回転する私の中の思考回路には、「息子があんな頭でいたら、近所からどんな目で見られるか分かったものではない」という思いが働いていた。いわゆる「世間体」である。しかし、「世間体」とは、どこまでも“自分の思い”を「世間」に投影して生まれた“影”であり、“幻影”である。それをあたかも“実在”と見なし、盛んに自己防衛をはかろうとする意識が不快感を増幅していたのである──こう気づいた時、私は、なんといもえない安らいだ世界にいる自分に気がついたのだった。

 そんな私の思いに呼応したのだろうか、翌日、長男は髪を染め直した。
 が……なんと、今度は、まるでブチのような髪になっていた。思わず吹き出しそうな衝動を押し留めながら、何か言ってやろうと思ったら、次女が唇の前に人差し指を立てたので、思いとどまった。
 その後、盛んに「失敗した」を繰り返していた本人は、自らすすんで帽子をかぶって外出するようになり、社会人になる前に、髪を元の黒髪に戻したのだった。彼なりの考えに従って行ったパフォーマンスだったわけだ。

 ところで、慣れというのは妙なもので、黒髪に戻った息子の頭を見ると、何か不自然な感じがするから面白い。(10月25日記)

イラストレーション 小関隆史

++解説++

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