生長の家栄える会
 

志を貫いて画家になるまで

「諦めない限り失敗はない」

   画  家

   遊 馬 正


 本日はこの素晴らしい長崎の地にお招きいただきまして、本当に有難うございます(拍手)。長崎は日本の新しい文化を造った本拠地であり、日本の近代化は長崎から始まりました。このような地で、お話をさせていただくことは、私の喜びであり、また大変光栄なことであります(拍手)。

苦労をかけた妻に心から感謝

   私は画家でありまして、今から6年前に、東京フォーラムで「回顧展 画業50年記念」という大展覧会を開催したのですが、その時に、妻が脳梗塞で倒れてしまったのです。私は責任を感じました。妻には今まで大変な苦労をかけた。私が絵かきになれたのは妻のおかげであったのですから、もし家内が立ち上がれなかったら、私は一切絵を辞めてでも、家内の世話をすると決心したのです(拍手)。だからその後は、日常の買い物でも、講演会でも、どこへ行くにも必ず妻を連れて行きます。本日も、妻と一緒にここへ参りました(拍手)。
 大体私は画家になろうと思ったことはありませんでした。勿論、潜在意識ではずっと思っていたのでしょうが、それを表にあらわす事はなかった。と言うより、出来なかったのです。私は埼玉県の出身で、遊馬家の7代目の長男なのです。ですから父は、画家ではとても生活できないと思っていたので「俺の目の黒いうちは絵を描くな」と言っておりました。戦時中は海軍へ行きまして、戦後、無事に私が帰ってくると、父は安心したのか、ぽっくりと亡くなってしまった。ところが母は、父と違って、絵をやりなさいよと勧めてくれました。まだ戦後間もない頃で、私は家内と結婚して、3人の子供を抱えて、地元の中学校で、美術の教師をしていました。
 その頃の日本はまだ大変貧しくて、外貨も殆どない状態でした。その後私は世界中色々回りますが、現在の日本ほど繁栄している国は他にないですよ。これは実感です。ところが先日テレビを観たら、東京都の先生達が、集団で訴訟を起こして判決を勝ち取ったと喜んでいる。何かと思えば、国旗も国歌も、個人の意志によって自由にしていいのだと。起立しなくてもいいし、歌わなくてもいいと。情けないったらない。そんな馬鹿な事がありますか!
 そういう人達は、一度海外へ行ってみたらよいと思います。一介の労働者としてアメリカで働いてごらんなさい。どんなに自分達が恵まれているか、身に沁みて解ると思う(拍手)。本当に、日本ほど恵まれている国は他にないのです。
 ところが私が中学校の教師をしている昭和30年頃に、海外留学する道が開けました。当時の日本は、非常に貧しかったけれども、若い人達の間には、この自由な空気の中で、うんと自分を伸ばして、この困難を乗り切ろう!という、満々たる希望を抱いて、物凄い努力をした人達が沢山いました。今の繁栄の魁を作った人達ですね。その頃に私は絵を描き始めました。



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