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山の仕事と街の暮らし/東京第一教区栄える会副会頭 菅原 修

2021年11月1日  

 私は、東北地方(秋田)で生まれました。それから62年、数えるとちょうど半分を東北地方(秋田・宮城)で暮らし、半分を東京で生活しています。造林事業(植林・育林)を行う職場に勤めることで、山と街が対照されて、たくさんのことに気が付く機会がありました。  
 昭和57年から平成7年にかけて、東北地方(秋田・宮城)の山で造林の仕事をしていた頃は、どうしたらスギやヒノキ、カラマツの苗木がよく育ち、樹木生い茂る森になってくれるのか、ということばかり考えていました。山に行くと、働く人には豊富な経験があって、まるで山や苗木の代弁をしてくれるような人ばかりでした。山を歩き山の話をするのはとても楽しく、宝物のような時間でした。山には植えられる苗木と、苗木を生かすことのできる“自然の力”と、“自然の力”を生かす力にするために働く人々のアイデアと実際の行動(作業)がありました。私は、苗木の力と自然の力と人々の力で変わっていく山の姿を見せていただいていたのだと思います。
 平成7年の春、山の現場から本部事務所の予算・計画の仕事に変わった時、造林の仕事は森をつくるもの・山の生活を支えるものということに加えて、街の生活を支えるものということを実感することになりました。戦中戦後の乱伐による山の荒廃が水の問題(洪水・渇水、土砂災害)と現れて、人々の生活を危険なものにしていた時、自然をよく知り問題の在りかを直覚していた先人たちは、国をあげて植林(国土緑化運動)に取り組み、荒廃した国土は数10年という短期間で、緑豊かな国土へと変貌していきました。山村の豊かな力に、都市の経済力が働きかけることで起きた大きな出来事だと思います。
山の乱伐も復旧も、人の力が働きかけたものでした。日本の国土の回復とは裏腹に、地球規模の森林破壊や化石燃料に頼った生活で、年ごとに大きくなっていく地球環境問題も、都会の人々の考え方や生活が変われば解決できると思います。
 この頃に、小学生の時に母から渡された『甘露の法雨』の御守りに行く手を照らされるように、平成9年に相愛会に、平成19年には栄える会に導かれました。谷口清超先生の『水と森の歌』を拝聴し、大自然の大気と水の循環が聖歌になることに感動しました。また、谷口雅宣先生の地球環境問題を取り上げたご著書を拝読し頷きながら、地球環境問題の重大さが伝わりがたいこと、山の仕事が都会では理解されにくいことと同根のように感じつつ、仕事に打ち込む力をいただきました。 そして、真理の探究が欠かせないものになっていきました。
地球温暖化による気候変動、感染症の世界的流行等…、世界は混迷しているように見えますが、「神・自然・人間は本来一体」の真理を自覚して、心が目に見えない世界にまで広がっていく時、必ず世界が変わっていくのだろうと思います。大自然に生かされていることをはっきりと意識して、日々の生活にみ教えを生きながら、真理をお伝えしていきたいと思います。


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