体験談

「神・自然・人間は本来一体」の自覚を深めて事業を展開/大阪教区栄える会(支部運営委員) 清水初代

2022年8月5日  

 1970年、私は21歳の時にカメラ店を経営する家に嫁ぎました。その2年後に長女を授かりましたが、子育てとお店の忙しさ、更に両親との同居も重なってノイローゼになりました。その頃、生長の家栄える会の講演を聞いて御教えに感銘を受けた主人の勧めで、生長の家宇治別格本山の練成会を受けました。2回の練成会参加で心が癒やされた私は生長の家のとりことなり、すぐに白鳩会と栄える会に入会させて頂きました。
当時のお店は借家で、私達はお店の2階に住んでおりました。練成会で教わった先祖供養を毎日続けておりますと、祖先への感謝の気持ちで満たされて毎日が明るくなり、お店は益々繁盛し新築の家も与えられました。
1986年、主人が41歳の時に脳内出血で倒れ、手術で一命はとりとめたものの意識不明となりました。私はすぐにサラシに写経をして病院の主人に届け、さらに神癒祈願を申し込みに教化部へ行きました。丁度、行事が開催されており、すぐに皆さんが「実相円満誦行」をして主人のために祈ってくださいました。私は皆様の愛念に涙ながらに御礼を申し上げました。そして「皆様の愛念をいただき主人は大丈夫! 必ず快復する」と確信できました。主人は右半身不随の状態から2ヶ月で杖なしで退院でき、お蔭様で大好きなカメラの撮影もできるようになりました。また新しいスタジオも建てることができました。主人はその後20年間大好きなカメラの仕事を続け2006年に人生を全う致しました。その後、家族で仕事を続けることとなり、5年後の2011年、隣地に新しい写真スタジオを建てました。
 今、生長の家では環境の劣化や貧困の問題に貢献するための取り組みをしていますので、私どものスタジオでも「可能な限り自然環境に配慮した建物にしたい」と考えて、自然光を取り入れた木造の二階建てで屋根には太陽光発電を設置し、照明は全てLEDにしました。電力会社も原発を含まない新電力に切り替えました。
また、富田林市SDGsパートナーとしての取り組みを始め、生長の家自然エネルギー拡大募金への協力や、お客様にも協力頂き、子ども食堂へお米を寄贈する活動も続けています。
今回の新型コロナ騒動では、当初に2ヵ月程休業しましたが、お客様からの要望があり営業を再開しますと、皆様に喜んでいただき、前年度より売り上げがアップ致しましたので、主人が建てたスタジオをウエディングフォト専門のスタジオにリフォームしました。コロナ禍で結婚式を挙げられない方々にとても喜んで頂いております。
 これからも「神・自然・人間は本来一体」の自覚を更に深めて、お客様を始め周りの方々に真理を生きる喜びをお伝えして参りたいと思っております。


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