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電気保安功労で経済産業大臣賞

高知市の氏原信幸さん

高知市在住の地方講師で相愛会員の氏原信幸さん(62)は、自ら経営する電気工事会社である「㈱常光電機」(高知市)が、長年、電気保安工事等に従事してきた功績が認められ、昨年8月、「第42回電気保安功労者経済産業大臣賞」を受賞した。
生長の家の熱心な信徒で、地方講師を務めた祖父からみ教えを受け継いだ氏原さんは、「生長の家のおかげで、仕事に励み、健康で安全に暮らすことができました。これからも、培ってきた技術で安全に仕事を続けて社会のお役に立ち、いっそう信仰も深めていきたい」と語っている。


表彰状を手に笑顔の氏原さん。(経営する会社で)

「電気保安功労者経済産業大臣賞」は、「工場等」「電気工事業者の営業所」「個人」の3部門に分かれており、保守運営体制や管理体制の優秀な会社、保安教育の推進や安全思想の普及などに長年にわたり努力して会社や人を対象として、毎年表彰されているもの。
氏原さんが経営する「㈱常光電機」は、昨年、「電気工事業者の営業所」の部門で、全国7件のうちの1件に選ばれた。
氏原さんは、昨年8月1日、妻の廣子さん(61)と共に上京して、虎ノ門パストラル(東京・港区)で行われた表彰式に出席し、佐藤均・原子力安全・保安院審議官から表彰状を受けた。

「妻と2人で始めた会社が今年で創立40年。素晴らしい従業員に恵まれ、と共に頑張ってきて本当に良かったと思います」

そう語る氏原さんは、昭和31年、小学6年生の時、自分で組み立てたラジオから放送の音声が聞こえたことに感動し、以来、電気のしくみに興味を持つように。
中学卒業後、祖父(正信さん、故人)の勧めで、祖父の知人で生長の家を信仰している教師がいた東京テレビ電子専門学校(現・日本電子専門学校)へ進学。卒業後の36年、大阪の精密機械製造メーカーに就職し、電気工事や機械の電気配線の仕事を担当。
しかし単純な作業に物足りなくなった氏原さんは、昭和41年、独立を志して会社を辞め、郷里に近い高知市内の家電メーカーにいったん就職した後、翌年、23歳の若さで「常光電機」を設立。
翌43年、祖父の紹介で、高校時代から生長の家で青年会の活動を続けていた廣子さんと結婚した。
廣子さんは「当時は仕事も少なく、私もアルバイトに出ていましたが、夫は、〝新しい便利な物を作りたい”と明るい夢を語る人でしたから、私も一緒に頑張ることができました」と振り返る。
氏原さんは、廣子さんが以前銀行に勤めていたことから、その友人や知人宅の電灯やコンセントの設備を設置するなどして仕事の幅を広げ、その後、テレビ、電話の配線、NTTの通信工事と事業を拡大させて、現在では、電力会社や自治体からも多くの公共事業を受注しているという。

「新しい仕事はリスクがあり、それを避ける業者もいますが、私の会社で何にでもチャレンジしてきましたし、私たちはそれをやってきた自負があります。例えば、1㌧もの力で引っ張られている電線の工事を行うこともあり、危険と隣り合わせ。ですから、私は毎朝妻と共に神想観を実修し、安心な心持ちで仕事に出かけるのです。それがミスのない仕事につながると思っています」

そんな氏原さんの言葉に呼応して、妻の廣子さんも「毎日にこやかな笑顔で挨拶をすること」を心掛けているという。
氏原さんが生長の家の教えに触れたのは、中学3年生の時、地方講師だった祖父の勧めで中学生練成会に参加したことがきっかけ。
しかし、「当時、真理の勉強よりも、電気について学ぶ方が好きでした」という氏原さんは、次第に教えから遠ざかった。
ところが、会社を設立して8年たった昭和50年、祖父の知人で、当時、高知教区栄える会会頭を務めていた富井健二さん(84)宅の配線工事を請け負ったことから、富井さんの勧めで栄える会の例会や講演会に参加するようになり、再び教えを学ぶようになった。

「学ぶうちに経営に対する考え方も以前とは変わってきました。ただ、良い仕事をするというだけでなく、〝人に幸せを提供する会社であることを自覚しよう”や〝にこやかで親切に行き届いた仕事を心がけましょう”が、わが社の社訓となりました」

現在、氏原さんの会社では、朝礼の時、従業員全員で社訓を朗唱している。
そんな氏原さんは、平成7年、そのころから問題になって取り上げられていた地球温暖化防止に貢献しようと、自宅に太陽光発電装置を設置し、増設を重ねて現在、発電出力14.87㌔㍗の設備を取り付けている。
また氏原さんは、昨年、「与える生活を実践させていただこう」と、青少年の更生を助けて、保護観察を行う保護司となり、現在、男子高校生1人をお世話し、子供の家族の幸せを祈っているという。
氏原さんは、「これまで培ってきた技術で安全に仕事を続けて社会のお役に立ち、いっそう信仰も深めていきたい」と語っている。