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50年間の句を集大成
初の句集を出版

島根県邑南おおなん町の服部康人さん

島根県邑南町の相愛会員、服部康人さん(74)は、正岡子規らが創刊した伝統を誇る俳句誌『ホトトギス』(ホトトギス社発行、月刊)に約50年間、投稿を続けてこれまで1,120句が入選。昨年9月、その中から448句を選んだ初の句集『故里』(四六判、156頁、日本伝統俳句協会山陰協議会)を出版した。「俳句を詠む中、題材である自然や動植物の“神性”が見えてきます」と語る服部さんに句作やみ教えとの出合いなどを聞いた。

「発想は、場所を選ばず天下ってきます」と服部さん。
メモ帳は手放せない

 記者が服部さんの住む邑南町を訪れた7月半ば、盆地を囲んだ標高800mの中国山地の山々はあいにく雲で覆われていた。が、「高い所から見ると、雲海の上を歩いていけそうで神秘的なんですよ」と服部さんは目を輝かせた。
“俳句をつくろう”と力まず、感性の赴くまま、今いる状況から自然の豊かさを見詰め、それを五七五に収めているという。
 常に胸ポケットにメモ帳を忍ばせ、発想を書き留めている。
 句集の一部を紹介すると、

 山国の殊に時雨るゝ日の多く
 山頂を確かむるには霧深く

 など郷里の自然を詠ったものが多い。自身が一番好きな句は、

 繕うてある辞書を引き夜学かな

 20歳のころ買った辞書の傷みを修繕して最近まで使い続けた。40代のころ詠んだ句。
 こうして長年詠んだ句を「句集にしたい」と思っていたところ、昨年、所属する日本伝統俳句会山陰協議会(島根県浜田市)が刊行を企画した会員の句集シリーズの第1作目に選ばれた。
 服部さんが俳句をつくり始めたのは中学2年。夏休みの宿題で作った句を『毎日中学生新聞』(当時)に投稿すると佳作に。以来、句作の楽しさにはまった。
 高校2年で町の俳句会に入会し、卒業後、地元の銀行に就職し、余暇は句作に励んだ。昭和32年、22歳の時、『ホトトギス』に「どつとふえ来し湯治客日短」の句で初入選、それから約50年間にわたって投稿。現在も毎月60〜100の句を詠み、『ホトトギス』に投稿。一方、平成17年から、毎月、協議会(前出)の機関誌『山陰』に、「思いつくまゝ」という県の俳句史を連載して好評を博している。
 服部さんが教えに触れたのは、昭和23年、中学1年。姉の野田二三子さん(89)が、結核で浜田市の病院に入院していた時、同室の患者から『生命の實相』を譲り受け「病気はない」という教えに感動。数カ月後、完治して退院後、家族に教えを伝え始めたことがきっかけ。

出版した句集『故里』と

「仕事や人生でつまずくこともなく生きてこられたのも、“人間・神の子”の教えと趣味の俳句のおかげ」と語る服部さんは、平成13〜19年、石見相愛会長を務めたほか、現在、青少年練成会や生命学園で子供たちに俳句の作り方を指導している。
 服部さんは、「豊かな社会、健全な精神は、芸術的な感性があってこそ。新しいタイプの誌友会で、絵手紙や俳句がテーマとなったのは、題材の神性をじっくり見詰め、信仰を深める素晴らしい機会です。これからも、うまずたゆまず句作を続けて日時計主義を実践し、縁ある人にみ教えと俳句の楽しさを伝えていきたい」と語っている。