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教えを生きて白寿迎える

滋賀県彦根市 吉原まささん


「ほんまに毎日が幸せで、感謝する毎日です」と語る吉原さん

滋賀県彦根市に住む聖使命会員、吉原まささんは、今年12月25日、99歳の白寿を迎えるが、今もなお、神想観の実修と聖経読誦を毎日続けて明るい信仰生活を送っている。
 今年に入って足腰が弱ったため外出の機会は減ったが、昨年末まで、毎月、手押し車に普及誌を乗せて、近所の友人・知人に対して“手渡し愛行”に励んだほか、趣味の“七宝焼きづくり”や“コーラス活動”にも意欲的に取り組んできた。
 「大きな病気もせず、健康で幸せに暮らせるのは教えのおかげです」と喜びを語る吉原さんに、生長の家との出合いや長寿の秘訣などを聞いてみた。


 “七宝焼き”は、銅や銀などの金属の生地に絵や模様を描き、ガラス質の釉薬(うわぐすり)を乗せて800度で焼き上げる伝統工芸の一つだが、最近はブローチやペンダントを作って楽しむ人も多い。
 吉原さんもそんな一人で、知人の勧めをきっかけに、82歳の時から毎月2回、自宅から徒歩10分の公民館での七宝焼き教室に通って学んできた。
 「最初は“七宝”という名前に興味を引かれただけでしたが、仕上がりの色彩がどう変化するかが楽しみになり、雑誌や写真集などを参考にして、絵柄を夢中で考えるようになりました」
 吉原さんがこれまで作った作品は、ブローチやキーホルダー、はがきサイズの壁飾りなど約180点にのぼるが、色合いやデザインが個性的でほかの生徒からも人気を博したという。
 「個展ができるほどたくさん作りましたが、皆、孫や信徒仲間にプレゼント。皆さんに気に入ってもらい、いつまでも大事に使ってもらってうれしいです」
 一方、七宝焼きと同じころ始めたのが、“コーラス”。小学生のころからピアノや歌が好きだったが、「童謡だけでなく、楽譜を見て歌う難しい曲にも挑戦しましたから、ボケませんね」。
 吉原さんが、生長の家に触れたのは、夫(故人)と共に、2人の子供(当時)を育てていた、昭和22年ごろ。信徒だった近所の母親の明るさに興味を引かれたことがきっかけだった。
 その母親は、終戦直後、皆が必死に生きていた中、夫も失った上、夜なべで浴衣を縫った収入で2人の子供を養う貧しい生活ながらも、“今、天の倉に徳積みをしているのだから、大丈夫”を口癖にしていたという。
 まもなくその母親に誘われて生長の家の講演会に参加。
 「受付で“ありがとうございます”と言われて、“この大変な時代に何がありがたいねん!”と思いました。でも、先祖を大切にし、天地一切のものに感謝する教えに興味を持ちました」

少女の横顔を描いた七宝焼き

 吉原さんは、まもなく、自宅で誌友会を開催し始めて、近年まで、毎月開催。昭和29年、宇治別格本山(京都府宇治市)で始まった神性開発練成会には、数年間、毎年5、6回参加して、山を崩し整地にする献労作業を行ったという。
 一方、地元でも貢献し、長年、婦人会に所属して活躍したほか、70~95歳まで25年間、自宅近くの彦根城周辺のごみ拾いを毎日続けたという。
 「献労や人のお役に立つことが、だ~い好きなんです」
 吉原さんは、大正元年、7人きょうだいの5番目、三女として生まれた。昭和11年、23歳で結婚後、夫との間に3男1女を設け、現在、孫10人、曾孫ひまご9人に恵まれている。
 昨年、そんな家族ら30人が集合し、数え年99歳、白寿を祝う会が開かれ、「好奇心いっぱいで元気なお祖母ちゃん。いつもパワーをもらっています」「憧れのステキなおばちゃん。いつまでもお元気で…」などの声が寄せられたという。
 吉原さんは、「みんな健康で仲良く暮らしているのが嬉しい。私も150歳を目指し、これからも皆さんと楽しく真理の勉強をしたいです」と、さらなる精進への意欲を語っている。