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夫の殉職を乗り越え、瑞宝単光章

熊本市 田﨑千津子たさきちづこさん

自衛隊熊本病院で。「たくさんの人に
支えられ、続けられました」

 熊本市北区在住の地方講師、田﨑千津子さん(61)は、通算32年間、自衛隊病院で看護師として勤務した功績が称えられ、今年5月に瑞宝単光章を受章した。
 「田﨑家では初めての名誉でとても光栄、亡き夫も喜んでくれたと思います。また、陛下の無私の生き方を深く知る機会をいただき、皇居遙拝に真心がこもるようになりました」
 田﨑さんは、昭和45年、自衛隊中央病院高等看護学院(東京都世田谷区)に入学し、卒業した48年、自衛隊仙台病院に就職。50年には、航空自衛隊のパイロットだった眞一郎さんと結婚して退職し、ほぼ同時に、夫が、航空自衛隊築城ついき基地(福岡県築上町)に転勤となったため、共に移り住むことになった。
 間もなく第一子を妊娠し、順風満帆と思われたが、51年3月、突然の悲劇が田﨑さんを襲った。眞一郎さんの搭乗したジェット戦闘機が、演習中、離陸直後に炎上して周防灘に墜落し、そのまま帰らぬ人となったのだ。24歳の若さだった。
 「私も自衛官だったので、事故の第一報を聞いたとき覚悟はしましたが、やはりつらかったです」
 同年8月、長女を出産。夫の遺族年金と義父母の蓄えもあって、経済的に不自由はしなかったが「家にいても暗くなるだけだし、看護学院で学ばせてもらった恩返しをしよう」と、53年、自衛隊熊本病院に再就職した。午後4時~翌日午前8時の夜勤を月10日ほどこなすほか、平成3年には、台風被害の復旧作業のために派遣されて救護に従事。平成18年、定年を迎えるまで、28年間勤め上げた。
 上司・同僚らにも恵まれ、患者やその家族が退院して喜ぶ姿を見るとやりがいを感じたが、子どもにかまう時間が少なく、子育てとの両立で悩むようになり、何度も辞職を考えたという。そんな田﨑さんの支えとなったのが、親きょうだいの励ましと、生長の家のみ教えだった。
 田﨑さんが生長の家を信仰し始めたのは、昭和54年。職場の後輩が、親戚の生長の家の信徒、山下由紀子さん(前白鳩会熊本教区連合会長、地方講師)を紹介してくれたのがきっかけだった。
 田﨑さんは、学生時代、同級生からみ教えを伝えられた経験があったため、この再会に深い縁を感じ、山下さんに胸の内を打ち明けるようになった。
 「夫の死の辛さを相談したときも、“人間は生き通しのいのち”と教えられ、救われました」
 教えを学ぶと、一層生き生きと仕事に励むようになり、患者が亡くなったときも、遺族を穏やかに慰めることができ、感謝されたという。

生前の眞一郎さんの肖像画と

 また、16歳だった長女の妊娠が発覚し、激しく動揺したときも、「子どもは親を選んで生まれてくる」という教えや家族の励ましで心の安寧を得て、出産を応援した。やがて長女は正式に結婚し、3女に恵まれたが、夫が経済的に自立できず、離婚することに。再婚したものの、今度の相手は多額の借金を抱えていたこともあり、平成7年、2度目の離婚。その際、田﨑さん親子は「慰謝料を払え」と脅迫され、心身ともに疲弊してしまった。しかし、出せるだけの慰謝料と『甘露の法雨』を渡し、相手の実相を祈り続けると「妊娠も離婚も、原因は娘に寂しい思いをさせたから」と気付き、懺悔。やがて、相手から「すばらしいものをありがとう」と感謝され、脅迫はなくなった。
 このとき「退職後は恩返しを」と決意し、19年、支部長を拝命。それを皮切りに、20年には教区連合会副会長と地方講師に。「夫に導かれてきたと思います。これからは、一層活動に励みます」