2021/03/14
この俳句は、駒木根淳子さんの句集『夜の森』に収められ、そのタイトルとなった俳句です。東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故で、人が立ち入りできなくなった桜の名所を詠んでいます。
そこに住んでいた人たちが原発事故により余儀なく退去させられた現実の切なさと、そこに生き続け、誰も見ることもなく咲いている桜のたくましさと哀れさを感じました。
作者の駒木根さんは、横浜市在住の俳人ですが、福島県いわき市出身で、かつて夫が福島原子力発電所に勤務していました。この句集の「あとがき」には次のように書かれています。
<(前略)私も発電所にほど近い双葉町に転居し、近所の人々に助けられながら、生まれたばかりの長男を育てた思い出の地でした。のどかな田園地帯にある社宅では、目の前に菜の花畑が広がり、夕暮れには家の網戸に蛍が点るような、四季に恵まれた場所でした。その地を地震・津波・放射能の三重苦が襲い、多くの原発避難民を生み出してしまったのです。
(中略)「春は夜の森(よのもり)で花見をし、秋は請戸(うけど)で芋煮会をするのが一番の楽しみ」、と地元でよく耳にした言葉が懐かしくも切なく、自然に五七五となったのです。>
この「夜の森のさくら」とは、俳句として、夜の森に咲いている桜と読み取って感じていただいて良いのですが、実は、この「夜の森」とは、「福島県双葉郡富岡町夜の森(よのもり)」という地名なのです。この夜の森地区は、福島第一原発から約7kmのところにあり、原発事故後、立ち入り禁止区域となりました。全長2.2kmにも及ぶ桜の名所は、真に闇の森となってしまったのでした。
その後、2017年に桜並木通りの300mが、2020年には500mの範囲が避難指示解除され、桜まつりも開催されるようになり、復興のシンボルとなっているそうです。昨年はJR夜ノ森駅も再開しました。(ただし、2021年は、新型コロナ感染症対策のために、桜まつりは開催されません)
今日は、2021年3月11日、東日本大震災、福島第一原発事故から、ちょうど10年。
福島第一原発事故により、16万人が帰還困難となり全国各地に避難をされてから、現在なお、6万人以上の人が元の場所に戻ることができていないとのことです(2021年2月現在)。富岡町にも、帰還困難区域(*)は、まだ残っています。さらに原発のある双葉町、大熊町、浪江町等は、さらに多くの地区が帰還困難区域となったままです。
(*)放射線量が非常に高いレベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域
政府と東電は、廃炉作業は最長40年で完了するとしていますが、「燃料デブリの取り出し」、「汚染水の処理」、「廃棄物の最終処分」などの処理方法はなにも決まっていません。当然、その作業期間や費用は決めることはできないはずですから、「最長40年」というのは、責任を先伸ばしにするだけの言い訳に思えてしまいます。
現在、政府と大手電力会社は、原発再稼働を進めようとしていますが、再稼働している原発でも、常に福島と同じような重大事故を起こす危険をはらんでいること、使用済み核燃料の処分の場所も仕方も決まっていないこと、最終的に放射能が消えるまでに10万年もかかること等を考えれば、このまま稼働を続ければ続けるほど、次世代の人々に辛苦を押し付けることになるのは明白です。
原発がなくても自然エネルギーの利用を拡大していけば、私たちの使う電力は、まかなうことができるのですから、これからの社会では原発は廃炉にすべきと改めて思いました。人類は全面的に自然エネルギーを利用し、安全で持続可能な“新しい文明”を築いていかなければならないと思いました。
帰還困難区域などはなく、桜の時期には桜を愛でながら、誰もがいつまでも安心して暮らせる世の中が来ることを祈らずにはいられません。
(2021年3月11日記 環境共生部 桜井伸)