生長の家社会事業団の平成24年2月27日付書面について

ニュースリリース

2012.03.18

Ⅰ.当法人および弊社の平成24年2月17日付見解に対し、同事業団は平成24年2月27日付で教区役職者宛に「重要通知」なる書面を送付しています。その同事業団の書面について当方の見解を示します。

1.初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税の取り扱いについて

同事業団の当該書面には[『生命の實相』の印税取扱いは「谷口雅春先生のご指示」と記載して、谷口雅春先生に責任を転嫁しようとしていますが、裁判では、その事実を裏付ける具体的な証拠などは全く無いことが判明し、裁判所の公正な審判により、完全に否認され、虚偽の主張であると判断されました。]と書かれています。

しかし、これは事実を故意に歪曲しようとしています。判決書を読めば明らかなとおり、裁判所がこの事実を否認したこともなければ、まして裁判所が「虚偽の主張」という判断をしたことなど、判決書のどこにも書かれていません。当方が平成24年2月17日付見解において、初版革表紙版『生命の實相』復刻版の印税の取扱いについて書いた実情は、訴訟上、当該書籍の印税が谷口雅春先生に支払われ、ご受領頂いたことを示す日本教文社の簿記の主要帳簿である元帳などの客観的証拠によって裏付けられているものです。

上記証拠の示すところは、谷口雅春先生ご在世中のことであり、谷口雅春先生ご自身が、先生のご著書の印税をどこにどれだけ支払うかを決定し指示されたことは明らかです。初版革表紙版『生命の實相』復刻版の印税取扱いに関する上記実情によってみれば、谷口雅春先生には、この『生命の實相』発刊50年記念のための特別版である初版革表紙『生命の實相』復刻版は他の『生命の實相』とは別個のものである、従ってその印税は先生ご自身がお受けになられるものであるとの明確なご認識があられたことは明確です。しかし、谷口雅春先生は、当時の同事業団の財政状態を考えられ、当初はおおむねその半分を同事業団に寄付されていましたが、途中から同事業団の経営状態が著しく改善されたことから、それ以降、安心されてご自身が全額を受け取られるようになったのです。上記印税の取扱いに関するありのままの事実の記述が、どうして責任転嫁となるのでしょうか。

2.知財高裁の判決書には「不法行為ではない」と明記

同事業団の本年1月31日付声明文には「『生命の實相』を不正な方法で出版していた日本教文社の悪事が発覚」という見出しの下、「奥付の生長の家社会事業団理事長の検印も削除されていた」と事実と異なることが書かれていました。

そこで、日本教文社の名誉のため、当方の平成24年2月17日付見解において、知財高裁が[「<検印省略>」の記載をした控訴人日本教文社の行為は、不法行為を構成しない]と判決書に明記しているにもかからず、[どうして「奥付の生長の家社会事業団理事長の検印も削除されていた」ことをもって、「『生命の實相』を不正な方法で出版していた日本教文社の悪事」と断ずることができるのでしょうか。その根拠は、どこにあるのでしょうか。]と反問しました。

これについて、同事業団は当該書面においていろいろ書いていますが、論点をそらして書いているにすぎず、およそ答えになっていません。当方が推測するに、同事業団は声明を出すことに急なあまり、知財高裁が判決書において、第1審の判断を覆し、「検印省略は不法行為ではない」と明確に判断している箇所を読まなかったか、もしくは見落とし、それによって同声明に“誤った記述”をしたものと思われます。

3.同事業団の目的と役割は社会厚生福祉事業

同事業団は本年1月31日付声明文の中で「谷口雅春先生の正しい教えを護持する生長の家社会事業団の聖なる使命」という見出しを掲げたり、谷口雅春先生は『生命の實相』の著作権を「人類の至宝として永続的・恒久的に保全されるとともに国家社会の公益に貢献せんために、公益法人である生長の家社会事業団の基本資産とされた」と書いています。これについて、当方は本年2月17日付見解において「谷口雅春先生は、同声明文に書かれているようなことを、どこにお書きになっているのでしょうか。」と反問しました。

この反問に対し、同事業団は当該書面において、『生長の家』昭和20年11月号に掲載された「生長の家社会事業団の設立」というご文章を挙げています。しかし、その「生長の家社会事業団の設立」というご文章の中で、谷口雅春先生は、どこにも「谷口雅春先生の正しい教えを護持する生長の家社会事業団の聖なる使命」とか、『生命の實相』の著作権を「人類の至宝として永続的・恒久的に保全されるとともに国家社会の公益に貢献せんために、公益法人である生長の家社会事業団の基本資産とされた」などということは、一切お書きになっていません。

谷口雅春先生は、『生長の家』昭和20年11月号に「生長の家社会事業団の設立」というご文章を掲載された後、昭和20年11月14日に設立者として、谷口雅春先生による「設立趣意書」と「財団法人生長の家社会事業団寄付行為」を添えて「財団法人設立許可申請書」を当時の広瀬久忠・東京都長官に提出されています。

当方の見解に書いたとおり、谷口雅春先生は、その「設立趣意書」においては「財団の諸設備建設の敷地として生長の家総裁谷口雅春私有の(中略)地所9万坪を寄付行為し恒久的流動資金として『生命の實相』の著作権収入を寄付行為す」と記され、「財団法人生長の家社会事業団寄付行為」においては、第5条の基本資産の項目に「谷口雅春著作『生命の實相』の著作権」としか記されていません。

また、谷口雅春先生ご在世中の昭和26年に施行された生長の家の宗教上の最高規範である「生長の家教規」第26条第2項には「この団体は、社会厚生福祉事業の方面に教義を反映させ、これを実践することによって公益に資するため、別に財団法人生長の家社会事業団を設立し、この実行に当らせる。」と明記されています。これらの動かせぬ事実にこそ、谷口雅春先生のご真意、御心があります。

つまり、谷口雅春先生は『生長の家』昭和20年11月号に「生長の家社会事業団の設立」を掲載されましたが、最終的に同事業団に充てられた役割は「社会厚生福祉事業」だったのです。したがって、谷口雅春先生は、ご生存中、同事業団において「政治運動及び文化運動も含めた国家社会救済の一大運動」など、ただの一度も行ったことはありませんでした。同事業団の役割は専ら「社会厚生福祉事業」であることは、何よりもこの厳然たる事実が証明しています。


Ⅱ.同事業団の平成24年2月27日付書面には、参考資料として『谷口雅春先生を学ぶ』平成24年4月号掲載の松下昭・同事業団理事長へのインタビュー記事の抜粋が添付されています。そのインタビュー記事にも、事実と異なることがいろいろ書かれています。

1.『生命の實相』の著作権の帰属問題について

松下氏は『生命の實相』の著作権の帰属問題について[谷口雅宣理事(当時)が『生命の實相』の著作権は谷口家の所有であることを強烈に主張したことが発端でした。(中略)顧問弁護士の若菜允子弁護士と税法の専門家である佐藤義行弁護士に法的鑑定を依頼した結果、「著作権は社会事業団にある」との結論を得て、昭和六十三年の理事会で決着し(後略)]と述べています。

では、その若菜弁護士、佐藤弁護士の法的鑑定なるものを見せていただきたい。当法人には、そのようなものは存在しません。ちなみに若菜弁護士は、東京地方裁判所に提出した平成22年11月4日付の陳述書において、[「甘露の法雨」に関する昭和61年7月5日付の鑑定書(甲64)ならびに同年7月25日付の意見書と昭和62年4月27日付書面(丙65)以外には「生長の家」に提出しておりません]、[財団法人生長の家社会事業団の権利関係については、前述の「甘露の法雨」に関する鑑定書・意見書を除いては、当時「生長の家」に対して意見を述べたことはございません]と明記しています。

事実は上記のとおりであり、したがって「谷口雅宣理事(当時)が『生命の實相』の著作権は谷口家の所有であることを強烈に主張した」という事実も、『生命の實相』の著作権の帰属問題について[「著作権は社会事業団にある」との結論を得て、昭和六十三年の理事会で決着]したという事実もありません。

大体、松下氏は昭和63年当時、当法人の理事でもなく、東京・原宿の本部事務所にいたわけでもなく、この問題に直接、関わる立場にはありませんでした。したがって、誰かからの伝聞を基にして事実無根の妄想をたくましくしているのに過ぎないのだと思います。たぶん、その誰かは、若菜弁護士が陳述書に記している『甘露の法雨』に関する鑑定書のことと混同しているものと思います。

2.谷口雅春先生は「神道篇」を『生命の實相』から省かれた

松下氏は、当該訴訟において、当方が[「尊師は、戦後、神様に叱られて国家観・天皇観を変更され、神道篇の復活を赦されなかった」などと、尊師を冒涜する主張を展開した]と述べています。当方が裁判所に提出した書面のどこに、そのような主張が記されているか明示してください。

谷口雅春先生は『生長の家』昭和21年12月号の5頁に掲載された「平和版『生命の實相』自費出版会員募集」という記事の中で、[唯今最も入手困難で、最も渇望されている、読んで病いが治り、運命が好転する無数の体験例ある(中略)生長の家聖典「生命の實相」全二十巻を、戦時のみに適せる心構の部分を省き、他は悉く完備せる厳密なる著者自身校訂の永遠定本の聖典を実費にて配本せんとする会です。](常用漢字、現代仮名遣いに変更)と、お書きになっています。

『生長の家』昭和22年3月号に「『平和版生命の實相』の自費出版計画も延期の止むなきに至りました」(『明窓浄机 戦後篇』31頁所収)と書かれているように、この平和版『生命の實相』の発刊は実現しませんでした。しかし、その後、出版された『生命の實相』には、戦前の『生命の實相』にあった「神道篇」が入っていません。これは、谷口雅春先生が「神道篇」を「戦時のみに適せる心構の部分」として省かれた結果と考えられます。そこで、当方は、谷口雅春先生がご生存中、出版しようと思われれば出版できたにもかかわらず、あえて「戦時のみに適せる心構の部分」として出版されなかった「神道篇」を、しかもその一部を抜き出して出版するのは、谷口雅春先生の御心に反するということなどを主張したのです。松下氏の上記発言は事実に基づかないものと考えます。

3.谷口雅春先生の聖典の重版保留について

松下氏は[『古事記と現代の預言』『神ひとに語り給ふ』など尊師の著作物の絶版について、最初は、当時雅宣副総裁も出席する常任理事会で審議されました。私は常任理事でしたのでよく覚えています。この絶版について、「私の信仰の原点のような著作物ですので反対します」という意見を直接谷口副総裁に述べました]と、到底あり得ないことを述べています。

常任理事会には、総裁先生、副総裁先生は出席されていないのです。したがって、常任理事会の席上、松下氏が当時の副総裁先生に直接、「私の信仰の原点のような著作物ですので反対します」という意見を述べたなどということは、松下氏の作り話です。また、松下氏は「絶版」と述べていますが、正しくは再刊可能な「重版保留」であって、刊行不能を意味する「絶版」などではありません。

さらに、松下氏は谷口雅春先生の聖典を重版保留にしたのは、現生長の家総裁・谷口雅宣先生であると言っています。しかし、これも事実と異なります。例えば、常任理事会で日本教文社の重版計画について審議した場合、前記したとおり、常任理事会には総裁先生、副総裁先生は出席されていませんので、総裁先生、副総裁先生が常任理事会において当該重版計画についてご意見を表明されることはできません。しかし、総裁先生は常任理事会の審議について決裁権限をお持ちでした。したがって、常任理事会での審議を経て、最終的に重版保留を含む重版計画について決定されたのは、当時、生長の家総裁であられた谷口清超先生であり、谷口雅宣先生ではありません。

一方、日本教文社の取締役会で重版計画を決めた場合、かつて取締役であられた谷口雅宣先生が、重版計画について具体的に提案されたことはありません。当時、社長だった中島省治氏(谷口雅春先生を学ぶ会代表)が議長を務め、谷口雅宣先生以外の担当役員から提案された重版計画について審議後、挙手による採決の結果、中島社長も賛成して議決したものです。

この日本教文社において決めた重版計画について、松下氏は[雅宣副総裁は戦術を変えて、今度は自分も取締役である日本教文社の取締役会を利用して絶版を決定させ、「生長の家」総攬者である谷口清超総裁のご意見も伺うことなく、本部理事会に事後報告する方法で、尊師の著作物を絶版とした]と言っています。これも事実と異なります。

日本教文社の出版計画(重版を含む)は、もともと報告事項だったのです。それが審議事項となったのは、昭和62年5月9日開催の理事会からです。同理事会に日本教文社から「昭和62年6月度出版計画表」が報告事項として提出されたところ、議長であられた谷口清超先生が事前に、同出版計画表の中の『生長の家聖歌女声合唱楽譜集(1)』の出版について疑問を持たれ、谷口清超先生によって報告事項から審議事項に改められました。そのことは、同理事会の議題一覧に残されている谷口清超先生の自書によって明らかです。

以後、日本教文社の出版計画は審議事項として扱われることになりましたが、時を経て、当然、谷口清超先生のご了承の下、元の報告事項に戻っただけにすぎないのです。また、上記の経緯から明らかなように、日本教文社が「本部理事会に事後報告する」ためには、事前に理事会の議長であられた谷口清超先生のご了承が必要であり、その段階で谷口清超先生は、自由にご意見を示されることが可能だったのです。したがって、松下氏の当該発言は、事実無根の憶測を述べているにすぎません。

なお、宗教法人「生長の家」は、平成15年度生長の家教修会の記録『歴史から何を学ぶか』の巻末資料(参考年表)において、重版保留(経済的理由によるものを除く)になっている谷口雅春先生の聖典を公表するとともに、平成16年度生長の家教修会の記録『平和の先人に学ぶ』の220~225頁において、それらの聖典がなぜ重版保留になっているかについて担当講師が質問に答える形で説明しています。

4.『生命の實相』を焚書(ふんしょ)にする?

松下氏は「雅宣総裁の一連の行為は、一貫して『生命の實相』を蔑ろにして、いずれは焚書にしようという意図を強く感じます」と、常軌を逸しているとしか思えない、目を疑うような発言をしています。

周知のように、宗教上の最高規範「生長の家教規」第2条第1号に「谷口雅春創始の、生長の家の教義に基き、その主著『生命の實相』を鍵として、万教共通の宗教真理を開示し(後略)」と明記されている『生命の實相』は、蔑(ないがし)ろにされたことなどかつてなく、今回の紛争が生じるまで、長年にわたって日本教文社から営々として発刊され続けてきました。

松下氏は生長の家の文書伝道を阻害するため、日本教文社から『生命の實相』を出版できなくしようとする自分たちの行為を正当化すべく、あえて常軌を逸した発言をしているとしか考えられません。

松下氏は、「谷口雅春先生の正しい教えを護持する」などと言いながら、谷口雅春先生の「中心帰一の教え」を蔑ろにして、谷口雅春先生の下で制定された「生長の家教規」第10条の規定に基づき、生長の家総裁を襲任されている方に対して公然と弓を引き、谷口雅春先生が始められた人類光明化運動を妨害するようなことをして、谷口雅春先生がお喜びになるとでも思っているのでしょうか。

谷口雅春先生をはじめ、谷口輝子先生、谷口清超先生、谷口恵美子先生への初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税の支払いは認めないとして、日本教文社に同印税の二重支払いを請求した同事業団は、日本教文社から二重払いする理由はないと断られたことを口実に、初版革表紙『生命の實相』復刻版のみならず頭注版『生命の實相』や聖経類、『真理』など同事業団に著作権名義のある34点全ての出版契約を一方的に打ち切る通告をするとともに、初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税の二重支払いを求める訴えを起こしたのが、今回の紛争の発端です。

松下氏は、谷口雅春先生のご愛念によって『生命の實相』等の著作権名義が事業団に寄付されたことを利用して、自ら長年にわたって認めてきた『生命の實相』等の聖典の出版その他の利用についての「生長の家」の管理権限を突如否定し、宗教活動を統括する「生長の家」の関与を排除して、自由に聖典を出版し、“谷口雅春先生が、事業団を生長の家の布教活動の主軸とすることを示している”など虚偽の事実を述べて信徒をまどわし、“反生長の家運動”を起こすべく訴訟に及んだというのが、今回の紛争の本質です。要するに同事業団らは、「生長の家」本部に対立する自分たちの都合の好いように谷口雅春先生のお名前を利用しているにすぎないのです。

以上