ブラジルにおける「谷口雅春先生を学ぶ会」の講演に関する宗教法人「生長の家」の平成24年9月21日付見解に対し、生長の家社会事業団の久保文剛氏が平成24年9月26日付で教化部宛に「ブラジル講演への原宿教団の誹謗中傷に対する当職の反論」なる書面を送付しています。その久保氏の書面について当方の見解を示します。
1.谷口雅宣先生への進言について
平成24年9月21日付見解の中で、当法人は[前原氏は、生長の家が分裂するから「私なりにやってきたんです。……一所懸命私たちなりに雅宣先生に言ってきました」などと言っていますが、前原氏も久保氏も谷口雅宣先生と個人的に話をしたという事実は一度もありませんし、手紙など文書による意見具申もないと認識しています]と書きました。これに対し、久保氏は「公的な立場で発言したり、又は谷口雅宣氏が出席する会議への提案文書を作成したり、上司を通して進言等を行っています」と主張しています。
しかし、ポイントは、久保氏と谷口雅宣先生との接点の有無ではありません。「生長の家が分裂するから」と言って、久保氏が谷口雅宣先生に進言等を行ったことがあるか、ということです。
久保氏が「生長の家が分裂するから」と言って「公的な立場で発言したり、又は谷口雅宣氏が出席する会議への提案文書を作成したり、上司を通して進言等を行っ」たことなど、一度もないと認識しています。
さらに、久保氏と谷口雅宣先生との接点について言えば、まず、谷口雅宣先生に対して久保氏は、いつ、どこで、何について「公的な立場で発言した」のでしょうか。当方は、そのような事実を記憶していません。
次に「谷口雅宣氏が出席する会議への提案文書を作成した」と言っていますが、久保氏は「谷口雅宣氏が出席する会議」の構成員であったことはかつてなく、したがって提案権がないため、久保氏が同会議に提案することはできません。提案権のある上司に命じられ、課長として提案文書の下案を作成したことをもって、久保氏が谷口雅宣先生に進言したことにはなりません。提案書に記載されている提案者名は「久保氏の上司」ですから、当然ながら会議の構成員は全員、決して久保氏の提案などではなく、提案者である「久保氏の上司の提案」と認識しています。
「上司を通して進言」したというのも、同じことです。進言したのは、あくまで「久保氏の上司」であって、久保氏などではありません。
2.中島省治氏の「陳述書」について
当法人の平成24年9月21日付見解では、[久保氏は、「雅宣先生は、谷口雅春先生の大事なご本を次から次に発行を禁止しています。」と語っていますが、これらは、いずれも虚偽の発言であり、事実ではありません]と記しました。
これに対し、久保氏は生長の家社会事業団側から裁判所に提出された中島省治氏の平成22年1月22日付「陳述書」を持ち出し、その中島氏の自己弁護のために事実を隠蔽・歪曲した「陳述書」を鵜呑みにし、同「陳述書」が「谷口雅宣氏、磯部和男氏、三浦晃太郞氏らの強要によって、谷口雅春先生の大事なご本が次から次に発行を禁止された事実」を詳述している、と主張しています。
しかし、最も重要な事実は、当法人の平成24年9月21日付見解に記した通り、平成4年7月15日の日本教文社取締役会の議決を経て、その後、平成5年1月18日の日本教文社取締役会において「日本教文社・書籍出版方針」が決議され、その中に谷口雅春先生の新刊書は原則として発行しないことが明記されたのです。さらに、この「日本教文社・書籍出版方針」は、平成5年2月9日の宗教法人「生長の家」の理事会に報告され、 谷口清超先生が生長の家総裁として議事録に承認の署名をされました。中島氏の「陳述書」は、これらの事実および当該取締役会の議決の有効性を否定できるものではありません。これらの事実および当該取締役会の議決の有効性を否定できないかぎり、法的に「雅宣先生は、谷口雅春先生の大事なご本を次から次に発行を禁止しています」などと言えないことは、自ら生長の家社会事業団の「法務担当」と称する久保氏には自明のことではないでしょうか。
次に、中島氏の自己弁護のために事実を隠蔽・歪曲した「陳述書」について言及します。
①谷口雅春先生の聖典の重版保留について
中島氏は「陳述書」において「それ(谷口雅春先生の聖典の重版保留)を可能にすることができたのは、当時副総裁であった谷口雅宣氏以外にはおりません」と述べています。
この中島氏の陳述が事実と大きく異なっていることは、宗教法人「生長の家」のインターネットの公式サイトに掲げられている平成24年3月18日付のニュースリリース「生長の家社会事業団の平成24年2月27日付書面について」をお読みいただければ分かると思います。
②谷口雅春先生ご昇天後の新刊の出版について
中島氏は「陳述書」で「谷口雅春先生の新刊聖典出版停止は、平成4年7月15日の日本教文社取締役会において決定されました」と述べています。当方も、平成24年9月21日付見解で[1992年7月15日の取締役会において、「故谷口雅春先生の新刊の御著書は原則として爾後出版しない」ことが決まり]と記しています。
この平成4年(1992年)7月15日の日本教文社取締役会について、中島氏は「役員会の議事録には発言者の氏名は明記しないよう雅宣氏からの指示があって、以下のことを裏付ける議事録には誰の発言かは分からないはずです」と述べ、さらに「7月15日の会議では、冒頭、磯部和男氏から谷口雅春先生の新刊を今後停止したいとの提案がありました」と述べています。これは、事実と異なっています。すなわち、議事録には発言者の氏名は明記されており、また「冒頭、磯部和男氏から谷口雅春先生の新刊を今後停止したいとの提案がありました」というのも事実と違っています。
議事録によると、第1号議案としてA取締役から「日本教文社書籍出版方針(主に外部出版)案について」が提案され、同提案に対して磯部取締役が意見を述べ、その中で「谷口雅春先生の旧神誌(会員向けも含む)に発表された原稿による新刊の出版には無理があり、原則として打ち切るべき」という提案がされました。
この提案は当然、慎重を要するため、議事録にも「審議がやや紛糾した」とあり、中島氏の「陳述書」にも「日本教文社サイドの取締役から種々反対意見が出され議論が紛糾しました」と書かれています。この中島氏の陳述は重要です。つまり、中島氏は当該提案について自由、かつ活発な討論が行われたことを認めているのです。ちなみに、議事録によると、B取締役は「売上の減少につながるので反対」と述べています。その発言によって、B取締役が他の構成員から難詰されたり、批判されたりしたことなどなく、むしろ「明確な意見」として尊重されたほどです。また、その発言が原因で、B取締役の社における処遇が変化したことも、不利益になることが発生したことも全くありません。
ここで、その場に居た他の取締役たちが明瞭に記憶している決定的な事実を提示します。前記した通り、自由かつ活発な討論を経て、当該提案について採決が行われました。結果は「可否同数」で、議長決裁となりました。議長はほかならない、代表取締役社長の中島省治氏、その人です。この事実について、中島氏は口に緘をしているようですが、その中島氏がどのように決裁したかは自明でしょう。当該提案について「反対」の意思を手のひらを返すように突如として翻し、「賛成」に“変節”したのです。
上記の日本教文社取締役会の当該提案に係る意思形成過程に明らかなように、自由かつ活発な討論を経て採決した結果、可否同数となり、中島省治氏自らが議長(代表取締役社長)として変節のうえ決裁したことについて、「鶴の一声の結果、磯部和男氏の提案が強引に可決されました」、「ただ谷口雅宣氏と磯部和男氏、三浦晃太郎氏らの強要による日本教文社取締役会単独の決定」という中島氏の陳述は常軌を逸したものであり、自己弁護と妄想の産物でしかありません。それを言うなら、「谷口雅春先生の新刊聖典出版停止は私(中島省治氏)によって決定されました」と言うべきです。
中島氏は「陳述書」の最後に「私の社長在任中、“社”の安泰を慮る余り、身を挺して断乎、抵抗し得なかった不明を改めて深く自省し」と述べています。
しかし、「“社”の安泰を慮る余り」というのなら、当該提案に賛成の決裁をするのではなく、B取締役のように「売上の減少につながるので反対」という決裁をすべきだったのではないでしょうか。
それを単なる保身からか、周囲に阿って、腹の中で思っていることを率直に言わず、終局で突如として自らの意に反して変節したことをひた隠し、「ただ谷口雅宣氏と磯部和男氏、三浦晃太郎氏らの強要による」というのは、如何なものでしょうか。
取締役会は意思決定機関であり、懇親会などではありません。舌鋒鋭く議論することもしばしばです。中島氏は、舌鋒の鋭い人間が怖くて苦手だったのでしょうか。当該提案に反対した他の3人の取締役に自然にできたことが、なぜ、中島氏には難しかったのでしょうか。不思議です。
以上の通り、久保文剛氏の平成24年9月26日付書面は、反論の体をなしていないことは明らかです。
以上