高校三年の子どもは県外の私立大学への進学を希望しています。私たち夫婦は自営で頑張っていますが、学費と生活費を払う余裕がありません。奨学金を考えても、私たち自身のローンを返すのがやっとで、連帯保証人になれないかもしれません。志望校を目指す子どもを応援したいのですが、どうすればいいでしょうか。(A子・40代)
回答者:
子どもの希望実現を願う親の愛、素晴らしいですね。願いを叶えるためには祈ることをお勧めします。生長の家総裁・谷口雅宣先生は、祈りについて『観世音菩薩讃歌』に次のようにお説き下さっています。
「汝ら、祈りと懇願とを混同すべからず。/『祈り』は命の宣り言なり、生命の底からの実在の宣言なり。/『懇願』は/無を在りと認むる欠乏と困窮の宣言なり。/非実在の宣言なり。(中略)神の創造の世界には/すべての美しきもの既に在るなり。/そのほかに『ねばならぬ』もの不要なり。/汝ら執着を捨ててなお/『吾が希望神の御心に合致す』との想い消えざれば、/その希望実現の相を念じ、/『すでに受けたり』と神に感謝を捧ぐべし。/『ねばならぬ』の心を放ち、/結果のすべてを神に委ぬべし」(56〜62ページ)
祈りとは命をかけて宣言する、というほど強く思うことです。そして「コトバの力」といって、心で思ったことは実現します。しかし、「○○を与えられますように」と祈れば、それは「今、○○がない」ことを認めていることになり、○○がないことが現象世界に現れてしまいます。だから「学費を払う余裕がない」と心配することはやめて、「すでに希望は実現しました。ありがとうございます」と日々、祈って下さい。
ある生長の家の栄える会会員は、自宅と工場をほしいと願いました。そこで毎日、「必要な資金が与えられました」と自宅と工場の絵を紙に描き、その様をありありと思い描いて祈ったところ、思ったとおりの家と工場を得ることができたそうです。
本来、親の願いはお金が与えられることでも、大学に入学することでもなく、わが子が幸せになることです。だから「わが子が最も良き方向へ導かれました。ありがとうございます」と祈りの最後に唱えて下さい。子どもさんの将来が素晴らしいものとなるアイデアが、流れ入ることでしょう。