次男が山で遭難死。悲しみにくれています

病気

昨年冬、33歳の次男が山で遭難し、帰らぬ人になりました。高校、大学と山岳部で山に登り、社会人になってからも暇さえあれば山登りをしていた次男。「危険だからそろそろ止めたら」という親の忠告も聞き入れませんでした。今更ながらなぜもっと真剣に止めなかったのかと、後悔しきりです。1年が過ぎても次男の死を受け入れられません。(T・H、58歳、女性)

回答者:

いつまでも後悔し、悲しまず
次男さんを供養してあげて下さい

 次男さんの突然の死を受け入れることができないご様子に胸が痛みます。

 私は20年前、小学3年生の娘を病気で亡くしました。自分よりも先に逝(い)った子供に対して、寂しい思いは時間が経(た)っても消えることはありません。でも生長の家の信仰が、私の心の支えになりました。

 生長の家では、「死はない。人間の生命は永遠生き通しである」と説きます。肉体は、人間が地球上で生きるための“宇宙服”のようなものと考え、この世の使命が終われば“宇宙服”を脱いで、また次の世に移行する。たとえ肉体は滅んでも、人間の魂は生き続けると教えています。

 不慮(ふりょ)の事故とはいえ、次男さんはこの地上での務めを終えられたのだと思います。
 このような急激な死について、『新版 人生を支配する先祖供養』(*1)には、「その人の霊魂は自分の身についた業(ごう)を何物も持たずに、謂(い)わば丸裸で肉体を飛び出すので、その人の業が速(すみや)かに潔(きよ)めらるので、その人の霊魂にとって寧(むし)ろ祝福さるべきことなのです。それは決して神罰(しんばつ)ではなく愛ふかき神の摂理(せつり)です」(192頁)と説かれています。

「役者にとって舞台の上で死ぬのは本望」という言葉があるように、大好きだった山で亡くなられた次男さんは、決して悲しんでおられないと思います。

 霊界はごく身近な世界です。後悔し、悲しんでいるお母様の姿を見ると、息子さんが悲しまれるのではないでしょうか。

 次男さんのさらなる魂の向上のために、これまでの宗教の教えの神髄(しんずい)が分かりやすく現代語で書かれたお経、聖経『甘露の法雨』(*2)を仏前で読まれて、次男さんを祝福讃嘆してあげてください。それが一番の供養になると思います。お母様が明るく生きてくださるよう、心からお祈りいたします。

*1=生長の家創始者・谷口雅春著。日本教文社刊
*2=生長の家のお経のひとつ

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