原発事故で避難。憤(いきどお)りの日々を送る

社会

福島第一原発の事故で、避難を余儀(よぎ)なくされて7年。両親とともに避難所での生活を強(し)いられています。国は、未(いま)だ安全の見通しが立っていないのに、避難者に帰還(きかん)を急がせたり、経済至上主義に基づいて、原発再稼働(かどう)への動きを加速させようとしています。何ということでしょうか。この憤(いきどお)りをどこに向けたらいいか分からないでいます。_(I・Y、32歳、男性)

回答者:休場敏行 (生長の家本部講師)

辛(つら)い経験をプラスに変え、
脱原発を実現しましょう

 自分が生まれ育ったふる里に、帰りたくても帰れず、長期にわたって不自由な避難所生活を強いられているのは、とても辛(つら)いことですね。心からお察しいたします。
 平成23年、東日本大震災が起きた時、私は生長の家福島教区の教化部長(*)として、福島県郡山市に住んでいました。福島第一原発から直線距離で約60キロの所で、放射性物質によって汚染(おせん)されたため、避難には至らなかったものの、私の家の庭をはじめ、周辺で除染(じょせん)作業が行われました。
 私は2年前、転勤で兵庫教区教化部長となり、現在、神戸市に住んでいますが、原発事故で、避難を余儀なくされた福島教区の信徒の姿を目(ま)の当(あ)たりにしていたので、原発再稼働に動こうとしている国に憤るあなたの気持ちは痛いほどよく分かります。6月に亡くなった福島県浪江町(なみえまち)の町長、馬場有(たもつ)さんもその一人でした。
 馬場さんは、全域に避難指示が出た浪江町民に陣頭指揮を執(と)ったのはもちろん、東京電力に対して精神的賠償(ばいしょう)の増額を求めるなど、各地に避難する町民のリーダーとして尽力(じんりょく)しました。その原動力となっていたのは、国や東電という巨大な権力への強い怒りだったと言われています。
 原発は、いったん事故が起きたら人間の手に負えないだけではなく、飛散(ひさん)した放射性物質は、人間をはじめ、生物共通の設計図として存在するDNA(遺伝子)を破壊してしまいます。あの事故を通して、そうした事実を知った私たちが、今後、しなければならないのは、速(すみ)やかに太陽光、風力などの安心、安全な自然エネルギーによる社会を実現し、脱原発を実現することです。それが、原発事故を経験した私たちの使命であると思います。
 共に力を合わせて辛い経験をプラスに変え、美しい地球を未来に残しましょう。

*=生長の家の各教区の責任者

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