祈りが叶わなかったことを、どう受け止めれば

家族の悩み

娘の職場の上司に肺がんが見つかりました。入社時から娘の面倒を良く見てくれた方で、どうか治ってほしいと神癒祈願を出し、娘と一緒に毎日聖経を誦げました。しかし、祈りの甲斐なく上司は霊界に旅立ってしまい、娘も悲しんでいます。祈りが叶わなかったことを、どのように受け止めれば良いでしょうか。(A子・72歳)

回答者:楠本行孝(生長の家本部講師)

ご恩を感じていた娘さんの上司の他界、真心を込めて祈ったのに、との悲しい残念な気持ちお察しいたします。「人間は神の子、生き通しの生命」との教えを頂いていても、親しい方との別れは悲しいものです。

前生長の家総裁・谷口清超先生は、総本山でのご講話の中で、「人が他界した時に、寂しく、悲しい心になるのは、親しいひとが、遠方に引っ越したり、旅立ったりしてもう会えないかもしれないと思う寂しさとおなじですよ」とお説き下さいました。

引っ越したり、旅立った人は、目の前から見えなくなりますが、ちゃんと生きておられます。上司の方も、霊界に旅立たれても、魂は生きておられますよ。

ところで「祈り」とは何でしょうか?『観世音菩薩讃歌』には、「祈りと懇願とを混同すべからず。『祈り』は命の宣り言なり」と説かれています。「祈り」とは、病気を健康に、貧乏を裕福にして下さいというように、不完全を完全にしようとお願いすることではありません。

私たちの生命の奥底には神から、円満完全な無限の力が既に与えられており、満ち溢れています。その生命の奥底の完全円満な実相を心と言で表し出すこと(命の宣り言)が、「祈る」ということなのです。

そしてもう一つ大切なことは、私たちの人生の目的は、内なる神性(生命の奥底の完全円満な実相)を自分の人生に現し、魂を高めていくことです。その意味で、娘さんとあなたの真心の祈りは、霊界に旅立たれた上司の方に届いています。死は霊界への誕生ですから、その方は、元気に霊界での一歩を踏み出しているとお考えください。

心と病気の関係、祈りの大切さは、『病気はこうして治る』の原理篇と実践篇に詳しく書かれています。ぜひお読みください。

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