体験談

アイデアの源泉は毎朝の「神想観」/静岡教区栄える会 稲垣 秀美

2023年12月5日  

鉄工所で働く父親の姿を見て育った私は、幼い頃から機械いじりが好きで、19歳で繊維関係の機械を扱う商社に就職し、輸入した高性能の機械を真似て独力で完成品を作り上げ、安価な国産品として売り出すなど技術力を発揮しました。当時は、輸入した機械に倣って作ることがまだ許される時代で、私は仕事が面白くて仕方ありませんでした。社長からも重宝されて有頂天になり、4年後、従業員3人の繊維関係の機械製造の会社を立ち上げました。

独立した年に、妻と結婚しました。その後、繊維産業が衰退すると省力機械を扱い、業績は上がり15人の社員を抱えるまでになりました。事業が発展する一方、家庭を顧みなかった私は、浪費を重ねて会社の経営を圧迫してしまいました。そんな生活の歪みに最初に目覚めたのは、心労から病気がちになって入退院を繰り返していた妻でした。結婚前、生長の家を経営の指針にする会社に勤務をしていた妻は、社員時代に学んだ生長の家の御教えに向き合い、生長の家の練成会にも参加して、信仰を私に勧めるようになりました。

私も、父が昔から生長の家を信仰していたので、善行や感謝の心の大切さは、潜在意識に焼き付いていました。御教えを学ぶのに何の抵抗もありませんでしたが、妻に従うのには抵抗があり、「50歳まで待て、50歳になったら安心させてやる」と言って逃げていました。それでも、妻が見違えるほど明るくなったのを見て、徐々に教えを受け入れる気持ちになりました。

1995年、クリーニング工場の自動ラインを約2億円で受注しました。ところが、その設備は未完成なまま納期を打ち切られ、代金の大半は支払って貰えませんでした。1億5千万円の負債を抱えて万策尽きてしまい、銀行からも見放され、生長の家を信仰しているのにどうしてこうなるのかと思いましたが、妻の信仰は揺らぎませんでした。

手形が不渡りになる直前、妻の助言で、松浦慶治・地方講師(故人)から個人指導を受けました。肩を落として事情を話すと「目の前の金のことなんかどうでもいい、俺の言う通りに勉強をしろ」と厳しく叱責され驚きました。しかし、その言葉の裏に温かな愛情が溢れていて、この方の言われる通りにしようと心から思いました。

そして実修したのが、先祖供養と神想観でした。さらには夫婦向き合って、笑いの練習も実施しました。松浦講師から「債務者には全て打ち明けて謝りなさい」と言われ、多くの債務者の前で夫婦揃って土下座し、「必ず立ち直って返済しますから、見守って下さい」とお願いしました。

すると、多くの債権者の方が受け入れてくださり、「稲垣の会社をつぶすな」という支援の輪が広がりました。松浦講師から「神様の世界は無限供給だ」と教えられていたので、必ず何とかなると、私も仕事に全力を注いで正直一途に対応しました。すると不思議なもので、いつもどこからか必要なお金は工面できました。苦しい経営が続いて挫けそうになったこともありますが、何とか乗り切れたのは、松浦講師との約束で毎日実行している神想観で、神様と繋がっていたからだと思います。

省力機械は、大手メーカーでは採算が取れないカスタム品ばかりなので、アイデア勝負です。創意工夫には自信はありますが、難問を最後に解決してくれるのは、やっぱり神想観です。実修中にアイデアが閃き、素晴らしいアイデアはすぐにメモをとり、神想観を終えると隣り合わせの工場に直行して、そのまま完成させることもあります。これからも毎朝の神想観を実修し、神様からいただいたアイデアを製品に表現してまいります。

※半導体検査装置や魚の鱗取り装置など、工場などの工程を自動化して人手を省く機械のこと


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