WEB版母親教室,幸せな子供の育て方

2017.4「生まれてくれてありがとう」

2017年4月19日  

○生まれてくれてありがとう
○子供は宝物(さずかりもの)
★テキスト
『生長の家ってどんな教え?』   谷口雅宣先生著
『日々の祈り』            谷口雅宣先生著
『平和のレシピ』          谷口純子先生著

4月です!モノトーンに覆われた寒い冬から、華やかな満開の桜の季節になると、昨日までの重いコートもパッと明るい春色になりますね。4月は、元気いっぱい胸を張って、幼稚園や小学校の入園・入学式に整列する、幼いわが子の成長ぶりに、目頭を熱くした御両親も多いのではないでしょうか。
新年度、最初の母親教室のテーマは

○生まれてくれてありがとう

○子供は宝物(さずかりもの)です。

わが子を初めて抱きしめた日、あの喜びと感動、そして「生まれてくれてありがとう」の感謝の思い、子育ての原点に戻って学んで頂きます。

子供の誕生は神秘的で尊いものです
お母様たちはよく「わが子の事は私が一番知ってます」と仰いますが、本当でしょうか?
◌妊娠した「その日時」と生まれる「その日時」を知っていましたか?
◌男女の区別を担当医からでなく自身が知ってましたか?
◌わが子の顔立ち・性格・血液型など出産前から知ってましたか?
全てが自分の体の中の出来事なのに分からない・・・それはとても不思議なことで、生命を生み出す神秘は、まさに神のみ業であり、神の愛によって育まれるのです。お母さんの胎内で一個の極小の受精卵が3キロほどの赤ちゃんに生長することは、精子と卵子の物質的な結合だけでは生まれない、生命の神秘そのものです。表面的には、肉体の存在として、認識されますが、私たちの生命というものは、神から来たところのものであって、神のいのちそのものです。神様の「理念」がこめられた、無限の徳と無限の能力とを備えている素晴らしい存在ですから、「神の子」といいます。誕生した「肉体」の機能の素晴らしさ、精密複雑さ一つとっても、「人間は神の子」の愛・知恵・生命・供給・喜び・調和の御徳を顕しています。

生長の家総裁・谷口雅宣先生は、その素晴らしさを御著書『日々の祈り』に、このようにお示し下さっております。

この肉体は組織や器官が精緻・精巧であるばかりでなく、私が意図しない膨大な数の機能を自動的に、過たずに実行しています。呼吸、心臓の収縮、ホルモンの分泌、細胞同士の連絡、黴菌との戦い、怪我の修復、食物の消化、皮膚や粘膜の再生・・・その他もろもろの肉体維持のための機能のほとんどが、先祖から受け継いだ自動プログラムにもとづいて、私が眠っているときも静かに、完全に実行されています。(105頁~106頁)

この素晴らしい機能を備えた「肉体」、目の色・皮膚の色に関わりなく、この地球上の生きとし生ける全てが神の命の表現です。生長の家では、「人間は神の生命が天降って誕生した、神様の最高の自己実現である」と、教えていただいています。
最近では医科学の進歩で、胎児の性別や障害の有無が分かるようになり、親側の都合で新たな命の誕生を絶つというような残念な結果もあります。「いのち」の誕生を尊い神からの授かりものだと思うとそのような、残念な結果にはいたらないと思いますが、人間は単なる、物質の集合体であるという、唯物論的な考え方では、“生命”そのものを尊重する本当の理由がわかりません。

生長の家総裁・谷口雅宣先生は『生長の家ってどんな教え?』の中に次のようにお示しくださっています。

私たちは、お父さん、お母さんのおかげでこの肉体をもって生まれてきているけれども、そのお父さん、お母さんも、この同じ「完全」のアイディアをもっていたし、そのまたお父さん、お母さんも、その先祖も、同じように「完全」を求めて生きていた。さらに、先祖をずっと遡っていっても、同じことが言える。そうすると、この「完全性」というアイデアは、我々人間が「誰か」から、あるいは「どこか」から受け継いできたと考えざるを得ない。そうすると、私たちを創造した「神」にたどり着く。
(中略)私たちは偶然に、ある日突然、何の原因もなく、この世にポッと出現したわけではないのですから…。(74頁)

このように、私達のいのちは、地上に生まれてからできるのではなくて、神様の完全な理念が、ご先祖様や父母のいのちをとおして受け継がれ、誕生してきます。その天分を現し出して、自分のためだけでなく、他のいのちの輝きとなるものが内にあり、「神の子」として誕生してきた尊いいのちそのものなのです。
いのちのもとへの感謝が子育てのはじまり
私たちには、両親がいます。その両親にもまた両親がいますが、この代々と続くいのちの連続のもとを、「先祖代々」と呼んでいます。

生長の家白鳩会総裁 谷口純子先生は、その御著書『平和のレシピ』で次のように書かれております。
どんな人も色々な形で親の形質を受け継いでいる。容貌が似ているだけでなく、性格や能力などもどこかに〝親の片鱗 〟が感じられるものだ。それが三百万年絶えることなく連綿と続いた結果、今の私があるのである。
私の後にも、こうして私の形質を受け継いだ人が続く。一世代だけでなく延々と続くのだ。そう思えば、後続する命たちに愛しさを感じるとともに、彼らにいったい何を残してあげようか……などと希望が胸に満ちてくる。そして、私の存在もそのようにして、数限りない先祖の、目には見えない大きな力に支えられ、生かされていると分かるのだ。その偉大なる命の連続に、私は感謝せずにはいられない。(25頁)

「生まれる」ということは、個人一人の誕生ではなく、先祖代々のDNAを受け継ぎ、延々と続くいのちのつながりの中で自分の番を生きているのですね。
また、子供が生まれて、自分が親の立場に立つと、自分の親の思い、親の恩を知るものです。
連綿とつづくいのちが受け継がれ、たくさんの愛によって生かされてきたからこそ、私たちは今ここにいます。そして、先祖の中で一番近いのが自分の両親ですから、子育ての根本は、父母に感謝することから始まるともいえるのです。

生命がお腹に宿った時から「ありがとう」の心は、生まれてから素直に丈夫に育ちます
今の社会は、目に見えるものだけに注目して生きている人が多く、この目に見えない「生命の尊さ」や「いのちのつながり」について語られることが少なく、気づかずにいるかもしれません。
子育てのストレスで幼児虐待、イライラ解消のためにいのちを殺める事件など、命を産み育てる母親にとって、目を覆いたくなるニュースを聞くと残念でなりません。
”愛され、認められ、ほめられた記憶がない、或いは肉体的な暴力やコトバの暴力を受けて育った子が親になった時、その「負」の連鎖から幼児虐待をしてしまう”というデータもあります。ですから、父と母がどんな気持ちで父となり母となるかは、とても大切なことだといわなければなりません。父母がどんな心でその子を見、どう認めるかが、子育ての中では大きな影響力をもつからです。「神様からいただいた尊いいのちをお世話させていただく」という気持ちで育てるのと「悪い子だ」と認めながら育てるのでは、子供は大きく変わってしまいます。それはまた、生まれる前から、胎内にいるときからも、もし「今はまだいらない……」などと考えているとすれば、それは子供の誕生を喜ぶ心ではなく、子供の誕生を拒絶する心ですから、父となり、母となる時点での心構えに大きな間違いがあるといえます。
子供を産むのは母親ですから、つい、子供を自分の所有物のように思いがちですが、人間は神様からの授かりものということがわかると、子供に対して敬虔な気持ちで、「よく私たちのところに生まれてきてくれましたね、ありがとう!」という感謝の気持ちを持つことができます。親が子供を愛するのは当たり前ですが、その「愛」の根本は、子供の神性を礼拝するということです。得に幼い子供にとっては、親の愛が目に見えない「生命の糧」となって、健やかに育っていきます。

人間は一人一人がかけがえのない個性天分を持った尊い神の子です

私たちは、日常をとかく当たり前で、子供がいることも当たり前で、その尊さ、有難さに気づかず、目に見える価値、良い成績、良い学校、良い会社、良い生活を求めて「ちゃんとしなさい」「早くしなさい」と追い立てる毎日の中で、いつしか本当に大切なものを見たり、感じたりすることを忘れられていることがあります。そんなとき、生命の尊さに感謝することば、あの誕生の瞬間のいのちを礼拝することば、「生まれてくれてありがとう」「〇〇ちゃんは神様から頂いた宝物」静かに唱えてみましょう。いのちをいただいたことは、かけがえのない喜びであるに違いありません。

乳児・幼児時代は、「〇〇ちゃん神の子ね」「生まれてくれてありがとう」という讃嘆のコトバを、ふんだんに表現できますが、小学校高学年以上になると表現も難しくなりますし、成長と共に、子供をめぐる環境にも様々な変化や問題が出てきます。

生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生は御著書『平和のレシピ』に、このようにお書きくださっています。
親は往々にして子供を自分の〝所有物〟や〝延長〟のように考える。そして、親の理想どおりに育ち、親が願う職業についてほしいとさえ思う。(中略)結局のところ子供の気持ちではなく、自分の希望や好みを押しつけている面が案外多いものだ。(中略)そこで『日時計日記』を付け始めた時、「子供の天分にかなった相応しい道を・・・」と書き続けることにした。コトバの力は強力に働き、今では〝おまかせ〟の心境で、子供に祝福を送っている自分に気づく。まだ、親の執着心が出ることもあるが、常に子供に宿る神性を信じて、引き出す母でありたいと思う。(92頁~94頁)

目の前のことに右往左往しやすいのが母親ですが、『日時計日記』を活用して、常に祝福・讃嘆の思いを送りながら、神の子の善性を信じ、その子のかけがえのないいのちの素晴らしさを引き出す親でありたいですね。なによりも、母として選んで生まれてきてくれた我が子がいることは、しあわせなことです。子供の成長ともに喜んだり、悩んだり、ときには苦しいこともありますが、『日時計日記』に是非お母さん自身への讃嘆の言葉を雨降らせ、親子で一緒に成長していきましょうね。

●子育ての中の「食」の大切さを伝える
すこやかな心と身体をつくる大切な食事

朝食を食べる子と食べない子とでは、学習面の能力や運動・活動の反射神経でも、大きな差が出るという厚生労働省のデータもあります。朝、美味しそうな朝食の匂いで目覚め、お母さんの笑顔と「おはよう!今朝も美味しいわよ」のコトバは、身体にも精神にも豊かな栄養を与えます。
「いただきます」・・・食材を作った大自然・海・山や人々全てのいのちに感謝します。
「ごちそうさま」・・・・食材を提供してくださった人々や作ってくれた人の愛念に感謝します。
忙しい毎日、仕事を持つお母さんには大変と感じる日もあると思いますが、家庭の食卓こそ「幸せの宝庫」です!生長の家の食事の神事には、「食事は自己に宿る神に供え物を献ずる、最も厳粛な儀式である」とあります。食べるものがあれば、肉体は育ちますが、授かった宝「神の子」の食事にふさわしい食生活を送ることも大切なことです。食事はただ空腹を満たすだけでなく、食材の奥にある神様の愛や、お母さんの真心が伝わる食卓、みんなの笑顔が運ばれてくる食卓でありたいですね。

生長の家白鳩会総裁・谷口純子先生は御著書『平和のレシピ』にこのようにお書きくださっています。
今は皆さん、忙しいので家庭の食事がおろそかになっているということがあります。食事を作るのはムダなことだとか、その時間がもったいないというふうに思う方があるかもしれません。(中略)
ただ何となくお腹を満たすためだけのお料理をてきぱきと、ささっと作るのではなくて、そういうふうに一つの食べ物が私たちのところに届いた道のりを考えて、その背後には神の無限の愛があって、生かそう生かそうとしている愛によって私たち一人一人が生かされているのだという深いところに思いをはせながらお料理をしていただければと思います。
そしてこのお料理を食べる家族が健康で幸せであってほしいという愛念を込めたお料理を作ることによりまして、作った本人も満足いたしますし、召し上がる家族の方も幸せで満ち足りた思いをされるのではないかと思います。(220頁~221頁)

特別手の込んだお料理でなくても、おむすびとお味噌汁のような簡単なものでも、お母さんの愛念を込めたお料理で、「本当の豊かさ」、「生きる力」を育くんでいきましょう。

●今月のやってみましょう  ―『日時計日記』を書きましょう―
両親に感謝し、子供に「生まれてきてくれてありがとう」と表現しましょう
四月の新しいスタートにあわせて、『日時計日記』に神の子の「いのちを礼拝する言葉」をいっぱい書いてみましょう。自分のいのちの尊さにも気づくかもしれませんね!