生長の家社会事業団の知財高裁判決に対する声明について

ニュースリリース

2012.02.17





生長の家社会事業団は、『生命の實相』等の著作権を巡る民事訴訟の控訴審判決が下りた平成24年1月31日付で、「谷口雅春先生の『生命の實相』護られる!」と題した控訴審判決に対する公式声明なるものを生長の家の教区七者等へ送付しました。しかし、同声明には事実と異なることが書かれており、このまま放置しておくと、生長の家の幹部・信徒の誤解を招く恐れがあるため、同声明に対する見解を表明するものです。なお、本件控訴審判決には審理不尽等の違法があるため、当法人および弊社は平成24年2月14日、最高裁判所へ上告いたしました。

1.知財高裁は「不法行為ではない」と明確に判断

生長の家社会事業団の当該声明には「『生命の實相』を不正な方法で出版していた日本教文社の悪事が発覚」というセンセーショナルな見出しの下、その「悪事」について初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税が「何者かからの秘密の圧力により」、同事業団に支払われなくなり、「終には、奥付の生長の家社会事業団理事長の検印も削除されていた」と記載しています。

しかし、当該検印について知財高裁は、同裁判所の判断として、①『生命の實相』の著作権が同事業団に寄付行為された昭和21年から長い期間が経過していること、②同事業団に帰属する谷口雅春先生の著作物の著作権に関する谷口輝子先生、谷口清超先生、谷口恵美子先生と同事業団の昭和63年3月22日付確認書および覚書のいずれにも初版革表紙『生命の實相』復刻版の題号が記載されていなかったこと、③同事業団は長期にわたって印税の支払いを受けていなかったこと等の諸事情があることを指摘したうえで、第1審の判断を覆し、[「<検印省略>」の記載をした行為について、これを不法行為と評価するほどの違法性があると解することはできない。(中略)「<検印省略>」の記載をした控訴人日本教文社の行為は、不法行為を構成しない」と判決書に明記して、同事業団が附帯控訴した損害賠償請求、訂正広告の請求を退けています。

このように知財高裁が「検印省略は不法行為ではない」と明確に判断しているにもかかわらず、どうして「奥付の生長の家社会事業団理事長の検印も削除されていた」ことをもって、「『生命の實相』を不正な方法で出版していた日本教文社の悪事」と断ずることができるのでしょうか。その根拠は、どこにあるのでしょうか。

2.印税は谷口雅春先生およびご相続人に

初版革表紙『生命の實相』復刻版の印税は、『生命の實相』発刊50年記念のための特別版として昭和57年に一時的に出版されることになったものであることから、同事業団に印税を支払う対象の書籍には含まれないものと考えられていました。しかし、谷口雅春先生から日本教文社に対し、同事業団の財政基盤強化のため、同復刻版の印税についても、その一部を同事業団に寄付するようにとのご指示を頂き、初版と第2版の合計2万部のうち、1万部の印税を同事業団に、残りの1万部の印税を谷口雅春先生に支払いました。同復刻版はその後も購入希望者が絶えなかったため引き続き出版され、その印税は昭和58年頃まで、ほぼ交互に同事業団と谷口雅春先生に振り分けられました。この振り分けも谷口雅春先生のご指示によるものでした。

しかし、その後、同事業団の児童福祉施設である神の国寮への東京都からの助成金が増額されるなどして、同事業団の財政基盤はかなり確固たるものとなってきていました。そのため谷口雅春先生のご了承の下、同復刻版の以後の印税については、同事業団への寄付は打ち切られることになりました。その結果、その後の印税はすべて谷口雅春先生に支払われることになりましたが、谷口雅春先生が昭和60年にご昇天されたため、第11版以降の印税は、ご相続人である谷口輝子先生、谷口清超先生、谷口恵美子先生に支払われてきました。

同事業団は、このような経緯の下に、同復刻版の印税が同事業団に行かなくなったことを当然、承知しているにもかかわらず、20年以上経った今になって同復刻版の印税不払いを理由に訴訟を起こした同事業団の行動は、谷口雅春先生の御心に明らかに反するものであり、誠に不可解というほかありません。

また、同事業団は声明文の中で、同復刻版の印税が「何者かからの秘密の圧力により」、同事業団に支払われなくなったと書いていますが、それがいかなる妄想に基づくものか、知る由もありません。

なお、『久遠の實在』復刻版の印税は、前記のような事情により、最初から谷口雅春先生に支払われ、同事業団へ寄付されることはありませんでした。

3.宗教法人「生長の家」の提訴について

同事業団の声明文には、宗教法人「生長の家」が同事業団を相手取って提訴し、“管理権”を主張したことについて「陰湿な嫌がらせ」と書いています。しかし、当該提訴は、同事業団が言うような「嫌がらせ」という性質のものではありません。

昭和63年5月10日に開催された宗教法人「生長の家」の理事会において、議題4として[財団法人「生長の家社会事業団」に帰属している著作権の管理について]が提案され、全員一致で原案通り可決されました。これにより、前記の昭和63年3月22日付確認書に記載されている谷口雅春先生の著作物の著作権については、宗教法人「生長の家」がその管理に関する代理人となり、日本教文社との間で出版使用許諾契約を締結する権限を同事業団から取得しました。この管理権行使によって、宗教法人「生長の家」は当該著作権を管理し、同事業団が宗教法人「生長の家」の宗教活動と抵触するような出版活動を行うことは防がれることになったわけです。

この昭和63年5月10日に開催された宗教法人「生長の家」理事会の出席理事のうち、4人が当時7人だった同事業団の理事を兼務しており、同事業団の理事の多数を占めていたことから、この議決には同事業団も同意していたと見られました。何よりも重要なことは、昭和63年5月10日に議決された上記管理方法に従い、昭和63年5月10日以降、本事件直前まで長年に亘って出版使用許諾契約が同事業団と日本教文社との間で締結され、生長の家による著作権管理が円満に実施されてきたという事実です。

さらに、当該議案は昭和63年4月19日に開催された宗教法人「生長の家」の常任理事会で予備審議されていますが、その常任理事会への提案書には「『生命の實相』や聖経は文書伝道の神髄とも云うべき著作物であり、それらの管理実務は、社会事業団よりもむしろ本部が行うべき性質のもの」と明記されています。したがって、昭和63年5月10日に開催された理事会では、当然、前記の常任理事会における提案趣旨の説明を受け、同事業団の理事の多数を含む全員が、「『生命の實相』や聖経は文書伝道の神髄とも云うべき著作物」であるから、同事業団ではなく、宗教法人「生長の家」が管理すべきという明確な認識の下に[財団法人「生長の家社会事業団」に帰属している著作権の管理について]を一致して可決したことは明らかなことであります。

宗教法人「生長の家」が同事業団を相手取って提訴し、“管理権”を主張したのは、このような事実に基づくものであり、「陰湿な嫌がらせ」などではありません。

4.「谷口雅春先生の正しい教えを護持する使命」は生長の家総裁に

同事業団は声明文の中で、「谷口雅春先生の正しい教えを護持する生長の家社会事業団の聖なる使命」という見出しを掲げたり、谷口雅春先生は『生命の實相』の著作権を「人類の至宝として永続的・恒久的に保全されるとともに国家社会の公益に貢献せんために、公益法人である生長の家社会事業団の基本資産とされた」と書いています。

しかし、同事業団は、戦後間もない昭和21年1月、当時の食糧難の時代に、食糧を増産する農場を開設し、巷に溢れた戦災孤児を収容し養護する施設を造るなどの社会福祉事業を行うことを主な目的として谷口雅春先生によって設立されました。したがって、同事業団設立時の定款とも言うべき「寄付行為」の目的の項の何処にも、「谷口雅春先生の正しい教えを護持する」ことなど書かれていません。谷口雅春先生は、同事業団の設立趣意書においては「財団の諸設備建設の敷地として生長の家総裁谷口雅春私有の(中略)地所9万坪を寄付行為し恒久的流動資金として『生命の實相』の著作権収入を寄付行為す」と記載され、寄付行為(定款)においては、第5条の基本資産の項目に「谷口雅春著作『生命の實相』の著作権」と記載されているだけです。谷口雅春先生は、同声明文に書かれているようなことを、どこにお書きになっているのでしょうか。同声明の当該文言は、これも同事業団の妄想にすぎません。

谷口雅春先生ご在世中の昭和26年に施行された生長の家の宗教上の最高規範である「生長の家教規」の第11条には「総裁および副総裁は、教義を総攬し、布教講師の教階を定め、本教所属及び各地の教化部、道場、伝道本部所属の講師が宣布する教義がその正釈を逸脱しないよう、これの善導と是正に当り、(中略)教義の徹底をはかるものとする。」と明記されています。すなわち、この「生長の家教規」第11条に明記されていることが、谷口雅春先生のご意思なのです。したがって、谷口雅春先生の正しい教えを護持する使命を果たされるのは、決して同事業団などではなく、生長の家総裁であることは明らかです。

以上