有難うございます(拍手)。私のやっている事が参考になるかどうか判りませんが、私はいろんな団体の会長をしているから、名刺も複数持っていて10項目刷り込んでいるんですよ。もう5年も10年も使っているのもあるんだが、その中に「生長の家栄える会名誉会長」と書いているんです。
するとね、「あれ、生長の家ですか?」と訊いて来る方もあって、色々お話をして、その方に真理を伝えているんです。名刺を渡した方々から10本以上も携帯電話にかかって来るんですよ。1日に1人以上、真理を伝えると決意して、必ず実行しているんです。
その中に、例えば私が生長の家の信徒と分かって、指導を求めて来た人がある。母親が東北の教区で白鳩会の副会長をしている。彼は生長の家のセの字もよく解らずにいたのだが、会社が合併して、副社長を務めている。ところが会社が1億近い負債を作り、悩んでいた時に、母親に「飛田給にある生長の家本部練成道場に行きなさい」と強く勧められて参加したが、時間もなくて半日で帰ってしまった。
その彼が名刺を見て私と3日間、ランチを取りながら生長の家の話をした。真理を伝えたところ、彼の所に母親から30冊の生長の家の本が送られて来た。彼は今、神想観をしながら真理を学んでいますよ。
私は毎日祈っているんだが、深い祈りを続けていると、必ず、真理を求める人が向こうからやって来るんですよ。これは間違いない。だから祈ることが大切なんだ。
私は12年前からある団体の役員をやっているが、それ以後、毎月休むことなく活動を続けて来た。経済人の集まりだから、錚々たるメンバーをお呼びして講演していただく。その方々と生長の家栄える会を結ぶパイプの役割をさせていただいて来た。
例えばイエローハットの会長、鍵山秀三郎さん、栄える会の講演も快く受けてくださった。本当に親しくしていただいている。アサヒビールの中条高徳さん、この方もそう。そのように色々な方が栄える会で講演してくださった。
福岡で繁栄ゼミナール全国大会が行われた時に、当時キヤノンの会長だった賀来龍三郎さんに講演してもらった。この方は今のキヤノンを築くのに大きな働きをされた。
当時、私は一部上場の建設会社の副社長をしていて、そのお昼の接待をさせていただいた。それで当時大田区の新丸子にあったキヤノンの本社に御礼に行って以来、その後7年間も、栄える会のために私と一緒に、全国を回って講演してくださった。
賀来会長は、「あなた達は生長の家だ。僕の創業者は観音様の信仰者だ」と言って、「観音、観音、観音、キヤノン、キヤノン、キヤノンと言ってみな」と(笑)、語呂を合わせたそうですよ。
(以下キヤノン株式会社社名の由来より)
観音菩薩の慈悲にあやかりたいというので、創立当時に発売された精密小型カメラに「KWANON」(観音)と名付け、そのレンズを「KASYAPA」(カサパ)(釈迦の弟子、迦葉)に由来して名付け、「性能が良すぎて、光だけでなく音まで観える」という意味も兼ねている。社名のCanonは、「聖典」「規範」「標準」という意味を持ち、精確を基本とする精密工業の商標にふさわしいことと、KWANONに発音が似ていることがその理由とされている。
私は栄える会の講演会を、横浜駅の東口にあるビルで、20年間、毎月休むことなく続けた。毎月10万円の費用が掛かったけれども、続けたことが、後の栄える会に素晴らしい講師を招くことに繋がったと思っています。だけど自分がやっていると思った事は一度もない。これは本当だ。
最近、私が感動を受けたのは、メガソーラを設置した香川教区の野津智さんが、「何としても総裁・谷口雅宣先生のお役に立ちたい」という強い想いがあって、メガソーラを設置したことだ。
だけど資本金500万円の小さな不動産会社が、総費用4億円の仕事を成し遂げることは大変な事だ。本部からの補助金もないけれども、それでも「やる」と言って、なんと日本政策金融公庫に30回も足を運んで頼んだというんだ。通常は5回足を運んで駄目なら諦めますよ。彼は命懸けでやったんですね。
人との付き合いも命懸けでなければ、大企業の会長が、一緒に全国を回ってやろうという気にはならないでしょう。それは半端ではない。(ここで世界の異常気象による様々の被害が上映される)
上映でお分かりのように、インド、イギリス、インドネシア、オーストラリア、アメリカ、モスクワ、北京、世界中で考えられないような異常事態が起きている。日本も例外ではない。
東京大学名誉教授の山本良一先生は、大変な危機感を抱いている。「国民が興味ないから金にならない」と取り上げようともしない日本のメディアに対して、猛烈に怒っている。
その一方で、日本には、中小企業、あるいはもっと小さな会社でも、環境問題に対して、大変優れた技術を持っている所が沢山ある。
「それを活かして、成功させなければならない」ということで、「山本先生が会長になっていただけるのならば、私が創りましょう」と、日本環境ビジネス推進機構を立ち上げたわけです。民間で会長を務める会は初めてですよ。
それで6月12日に100社が集まりました。100社ですよ。遠い所は、長崎、大阪、神戸、京都、群馬などからも集まりました。やはり日頃の人脈が大切なんです。
そしたらその中に、インドネシアの外資系のパルプの会社、年商2兆円という紙の会社の日本代表が5人来たんです。
産経新聞社が、日本経済新聞に対抗して、今から4年前にフジサンケイビジネスアイ新聞を作ったんです。東京、名古屋、大阪にシフトして、世界中の企業が出ている14頁の経済新聞で、朝刊が毎朝15万3千部出ている。
今回、100社が集まっている日本環境ビジネス推進機構に注目して、取材の申し込みがあった。
それによると、「東京大学名誉教授の山本良一先生と神谷光徳の対談を、1年間やっていただき、それを掲載させていただきたい」というものだった。
日本で初めて100社の技術によって、迫りくる温暖化問題を何とか解決して行こうという、この日本環境ビジネス推進機構を逸早く取材したいということだと思う。産経新聞本社の会議室で対談することになっている。
それで8月26日に、銀座で、山本良一先生、村上和男先生、宮脇昭先生、岡本享二先生をお呼びして、環境問題、次世代シンポジウムを、1000人集めて開く予定なんですが、それにこの対談をぶつけるそうです。
先程話したインドネシアのパルプの会社を訪問した時に、宮脇先生の事を紹介したら、是非インドネシアに来ていただいて、ご指導願いたいということで、12月の27日から30日まで、私もご一緒してインドネシアに行くことになったんです。
そしてヘリコプターで上から状況を見て、ここに植樹しようと指示するわけです。その会社はパルプ会社ですから、広大な面積に植林している。その仕事が決まった。
環境問題は地球が一つになるような大きな信仰心を持ち、多くの人と手をつないで進めて行くことが必要
やはり環境問題というのは、大変大きな問題だ。だから生長の家だけで、あるいは栄える会だけで解決できる問題ではない。内部の我々だけでなく、社会の多くの人々と手を結んでやって行く必要がある。
そのためには、地球が一つになるような、そういう信仰心というか、宗教心が出て来る必要があるんですよ。神と自然と人間が大調和した社会を目指す大きな信仰心が必要になると思う。
だから我々は環境問題の解決に向けた活動をしながら、一人でも多くの同志を獲得できるような舞台を作って行かなければ駄目ですよ。
谷口雅春大聖師は、「どんどん真理の種子を蒔け。蒔いて、蒔いて、どんどん蒔け」とおっしゃった。「やがて必ず太陽が当る。風が吹いて、その種子は芽を出す時が来るであろう」と。だから「真理の種子を蒔く運動をやれ」と教示された。「社会的に頑張ったらいいですよ」「1日に1人に伝えよう」と決めたら、必ず会えるんだから。僕は2年間それをやっている。
先日こんな事があった。神奈川県教化部に、「神谷さんの電話番号を教えてほしい」と電話が掛かって来た。その人は広島にいる人だと判った。それで僕は電話した。
そしたら彼は、「神谷さん、声が全然変わっていませんね。僕は20年前まで横浜にいました。早稲田大学の学生でした。憶えていませんか?」「どうしても会長の声を聴きたかったんです」という。
それで話を聴いてみると、彼は20年前に神奈川から広島に移った。その後、社内で脳血栓のために倒れて、救急車で搬送された。彼は今、懸命にリハビリに励んでいるんだけれども、その時に私を思い出したというんだね。
「20年前のあなたの話を思い出したんです。生長の家の話だけを憶えている。是非お話を聴きたい」と。48歳になっていて、大学生と高校生の子供がいる4人家族だと。
それで私はすぐに、当時、神奈川の教化部長だった小田教化部長(現在、広島教化部長)に、電話で彼の事を話して、個人指導をお願いした。非常に喜ばれて直ぐ手続きを取ってくださった。
彼は呉市に住んでいるので、広島市まではかなりある。だから「もう少しでそちらに行けるようになると思うので、しばし待っていただきたい」と電話があったと、広島教区の事務局長から連絡を貰った。
20年前に蒔いた種が、今こうして芽を吹くんだね。真理というのはね、まさに千里を走るんだよ。だから10年、20年、30年は音沙汰がなくても関係ない。必ず芽を出し実を結ぶときが来る。
人間ってどん底に落ちた時に解るものがあるじゃないですか。その時に、震えるような祈りを、やっぱりして行くんだね。そういう人間が、どんどん私の周りに来ますよ。だから祈ったらいいんですよ、神想観です。我々は祈りつつ、知恵を働かせながら、出来るだけ多くの人と手をつないで、頑張って行きましょう。有難うございました(拍手)。