環境問題講演録

地域経済と共生するいのちの森づくり ~広島から世界へ~ (後編)

2015年4月19日  

横浜国立大学名誉教授  宮脇 昭

宮脇 昭

横浜国立大学キャンパスの森づくり

ここで宮脇方式による「いのちの森づくり」の具体的な事例をご紹介します。

まずは、私が長年勤務した横浜国立大学キャンパスです。それまであちこちにあった学部が、昭和48年から54年にかけて保土ヶ谷カントリー倶楽部の跡地に統合されました。

ゴルフ場には芝生しかありません。正門から事務局まで400メートル。通学路沿いに40度の斜面があり、外国の牧草が生えていましたが、冬は枯れて煙草の火などで燃えて困っていました。


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その当時、まだ若かった私は緑環境の責任者を任され、ここに森をつくることを提案しました。文部省(当時)からの援助はないので、教授が3,000円、助教授が2,000円、助手が1,000円出し合って資金を作りました。土は横浜市から整地で余った土を都合してもらいました。それでこういう簡単な土止めをして、この土の上にほっこりとマウンドを築き、この土地本来のシイ、タブ、カシ類のポット苗を植えました(画像①)。よく見てください。3年経つとこうなるわけです(画像②。ワァ! という歓声。拍手)。

事務局長が「先生の木は育った」と言いました。植物は根が勝負です。自然の森の掟は、混植・密植です。互いに競争しながら、少し我慢して共生している。これが一番良い状態なのです。前列の花物などの化粧的なものは文部省(当時)がお金を出してくれました。行政は化粧にはお金を出しますけれども、本当は背骨になる所にもっとお金を出してもらいたいものです。

化粧的なものは、内陸で冬の花なら、カンツバキ、サザンカ、クチナシなど。陽のあたる所ならサツキ、ツツジなど。混ぜて使えばいつも花園の中を通れます。落ち葉は分解し肥やしになります。管理費は要りません。3年経てば後は放っておいて構いません。幅は1.5メートルですが、9年経てばこうなります(画像③。拍手)。これらの木は、横枝は切っても頭は切らないようにします。空は無限にありますから。5キロ続くこの森は、万一の火災や地震などの時には350万市民のうちの何万人かがここへ逃げ込むことができる。本物の市民のための生きた緑の保養所です。

奈良県の橿原バイパスの森づくり


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これは奈良県の橿原バイパスです(画像④)。このバイパスは住民の反対で10年間できませんでした。やっと完成した時、国土交通省から依頼を受けましたので、幅は1メートル程度しかありませんでしたが、地元の小学校にご協力いただき、ここに立体的な森をつくることを提案しました。

勿論ひとりふたり反対する人はいます。この時は小学校の体育の先生が反対しました(笑)。なぜ土曜日の午後に、教員や小学生、さらに父兄まで駆り出して、国交省の道路に木を植えないといけないのかと。私は一所懸命説得しました。反対しそうな人を仲間にいれれば戦力は倍増します。「敵は味方」と言いますから、納得すれば強力な味方になってくださるのです。私もこの体育の先生に理解していただこうと話をしました。こういう人は思想的な方は別として、そうでない方は割合単純で素直な方が多いものですから(笑)、理解してくれて、「よし、先生、やりましょう」と言って先頭を切って一所懸命やってくれ、父兄を含めて1,200人で1万5千本の木を植えました。

木を植えた子供たちが大人になった時に、自分の子供たちに「パパやママがあなた達と同じ年の頃に植えた木がこれだけ大きくなったのよ」と会話をすることができる(画像⑤)。これこそ、まさに「いのちの教育」「ふるさと教育」ではないでしょうか。(拍手)

生長の家の皆さんも、総裁先生ご夫妻が『〝森の中〟へ行く』という素晴らしい本を書いていらっしゃるのです。ぜひとも、このような「いのちの森」を、足元から今すぐつくりましょう。(拍手)

地球資源は、
「焼かない、捨てない、出さない」で利用して、いのちの森をつくろう


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横浜市の北部第二下水処理場の工事も、住民の反対で10年間できませんでした。市長に「何とかしてくれ」と頼まれて現場へ行きますと、コンクリートの破片や廃材、廃木などが散乱していました。

「毒と分解困難なもの以外は、全て地球のすばらしい資源」です。それらを利用して水はけの良いマウンドを築くために、深さ1メートル、幅6メートルの穴を掘らせて、土と混ぜながらほっこりとマウンドを築きました。養分を吸う20センチは表土をかぶせ、そこに土地本来のポット苗を混植・密植し、敷き藁をしました(画像6)。1年経つとこうなるわけです(画像7)。5年経てば4メートル(画像8)、9年経てばこういう状態で8メートル(画像9。拍手)。

ここは鶴見区の海岸沿いで、宮脇方式の森ができたので、もう高潮、津波にもびくともしないと住民が喜んでいます。危険な所を逆に安全な場所に変えていくようにしましょう。

本田技研工業では、全工場で緑の管理費が年間2億2千万円かかっていた(画像10)。二十数年前に経団連で私が話をしたときに、当時の河島社長が「どうもうちは金がかかり過ぎる。宮脇は金がかからないと言っているから(笑)、あいつを呼んでこい」と決断され私を呼ばれました。それで副社長以下の幹部に、徹底的に厳しく指導しました。全部土を掘り返して、中に廃棄物という名の地球資源を入れて、シイ、タブ、カシ類のポット苗を植え、外縁には裾模様として季節の花、低木を植えました(画像11)。同じ所が8年経てばこういう状態になります(画像12。拍手)。車が通る所は低木を植えて置けばよいのです。

 

阪神大震災の時の シイ、タブ、カシ類の木の力


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平成7年1月17日の阪神大震災当日、私はボルネオ熱帯林の調査に行っておりました。CNNのテレビ報道で、神戸で大地震が起きて人が大勢亡くなっていると知り、驚いて帰国しました。

私が皆さんと一緒に植えた木は、「台風でも大地震でもびくともしません」と公言していましたから果たしてどうなったのか、心がはやりました。科学者は自分の発言や行動に責任を持たなければならない。全て駄目なら切腹ものです。

なかなか神戸に入れず、やっと関西空港からヘリコプターに乗り現地に到着しました。何百億も掛けた高速道路は倒れ、鉄道は折れ曲がってズタズタになっている。町はまるで空襲を受けたように、焼け野原になっている。大変な惨状です(画像13)。

ところが私共が植えた鎮守の森だけは、現地調査の結果1本も枯れていない。倒れていない。焼けていない。社や鳥居は駄目になりましたが、木は大丈夫でした。これが日本の叡智であります。NHKで何度か放送されましたが、ポケット公園があって、そこに土地本来のシイ、タブ、カシの類、これが一列に植わっている所は、逃げ道になっています。葉は焼けても木は生きていて、9月に調査した時には元に戻っていました(画像14)。長田区の辺りでは全部駄目になっても、アラカシの木が一列植えられており、1.5メートルの小道が造られていて、そこで火が止まっているではありませんか。こういう成果があるわけです。鉄やセメントの材料はほとんどがやられましたけれども(画像15)、シイ、タブ、カシの木が植えられている所は火防ぎになり、あるいは落下するもの、倒れて来るものを軟着陸させる力を持っているので、被害を未然にあるいは軽症に抑えることができるのです。(画像16)

神戸から約60キロ西にある姫路の広畑製鉄所は、昭和48年に市民の皆さんと共に、廃棄物を混ぜてマウンドを築き、当時はまだポット苗がなかったので、シイ、タブ、カシのドングリを拾って植えましたが(画像17)、10年経てばこのような状態になっています(画像18)。もし不幸な地震が姫路まで襲っていたら、広畑製鉄所の幅3メートル、高さ5メートルの5キロの境界環境の森が、何万人もの逃げ場所になっていたはずです。神戸では大勢の方が家の下敷きになって亡くなられました。もし、家の周りにシイ、タブ、カシ類の木を植えていたら、それが緩衝材となり倒れた家の屋根が引っかかって隙間ができ、そこから逃げれられたはずです。

「タブの木1本、消防車1台」

関東大震災の結果をご存知ですか?


(画像19)

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国会図書館にある当時の土木学会誌を調べたところ(画像19)、板塀で囲まれた陸軍の被服廠跡に逃げた人は、わずか30分で3万8千人が焼け死にました。そこから2キロ離れた今の清澄庭園に逃げた2万人の人は誰も亡くなっていないのです。やはりシイ、タブ、カシ類の常緑の壁ができていて、これらの樹木が火を防ぎ人々の命を救ったわけです。これはNHKのドキュメンタリー番組でも紹介されました。

かつて山形県酒田市で大火があり1700戸も焼けましたが、本間家という旧家にタブノキが2本植えられていて、そこで火が止まった。それで歴代の市長は、「タブの木1本、消防車1台」という掛け声と共に、モール街から小学校、下水処理場の辺りまで、市民と共にタブの木などの常緑広葉樹を植えてきました。8年後には6メートルの木に育ちました。

こういう学会報告書があるにもかかわらず、地震などの災害の後には、いわゆる有識者なる者を集めて思いつきの議論をして消防車何百台などと言うけれども、神戸の大震災を見ましても、道路があのように被害を受けたら、全然消防車は通れません。行けたとしても水が出ない。4キロも離れた海から運んでも、水が届く頃には焼け落ちてしまっている。生きた材料をどう使いきるかが勝負です。

広島県の方、ちょっと手を挙げてください。佐伯区の美鈴が丘住宅団地を造るのに、広島では旧市街から、45度の角度で花崗岩を切りましてトンネルを造りました(画像20)。研究者はエゴイストですから、何も育たないと言われる所に木を植えたいわけですが、地元の所長は「植えられません」という。それで三井不動産が造った団地なので、東京・日本橋に、当時会長だった江戸英雄さんをお訪ねして直訴しました。すると、「俺が責任を持つから、先生に植えてもらえ」ということになり植えました。45度の角度の所に植えた木が、15年経った今では、世界に誇る宮脇方式の森(画像21)になりました(拍手)。機会があればぜひ見にいってください。

地域経済と共生する いのちの森づくり

カシやシイの木は、千年はもちませんが、80年、100年で大木になります。それを焼かず、捨てず丁寧に択伐し、家具や建設材に使えば、地域経済と共生できます。ヨーロッパから輸入している家具は、皆、この広葉樹です。ドイツの林業では、80年伐期、120年伐期で大木を丁寧に伐って家具に加工して地域経済に寄与しています。

木は、根、幹、枝を含めた乾燥重量の50パーセントはカーボンです。そしてローカルには、いろんな種類が混じっていますから、生物多様性を維持しつつ、炭素を閉じ込めて温暖化防止に貢献しているのです。

私の言う森の効果は、それ自体で地域の経済にも、人々の暮らし、いのちにも貢献しているものなのです。自然植生の木は、風、音、火、水、臭いを防ぎ、地盤を安定させ、水質浄化機能、電気を使わないエアコン装置であり、水がめとなり、大気の浄化や集塵装置ともなります。挙げればきりがありませんが、人々の憩いの場である公園や植物園、動物園にも寄与しています。


(画像22)

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もうひとつは、伊豆大島の空港滑走路を延長する時に、山を切らないと飛行機は飛ばない。ここへ植えたわけです(画像22)。ある日突然、港湾建設局長以下10人ぐらい来まして何か良い方法はないかと。それで土地本来の森をつくるのに、本気でやるのであれば協力しましょうと。それから始まりまして、都庁の役人の人たちも引っ張り出して、島本来の木、タブの木の種を拾う事から始めました。後はいつものようにみんなで協力して、シイ、タブ、カシ類などの種を3年間で39万本のポット苗にしまして植えて行きました(画像23)。東海汽船で副知事以下みんなが来て、1人が25本ほど植えて帰る。それを繰り返して、無事に滑走路も延長できて、観光客が訪れて島の経済が豊かになりました。

“北海道”千年の森の植樹


(画像24)

(画像25)

小樽の寿司屋の親父さんである中村会長から「東京であなたの話を聞いて感動した。小樽でも植樹をしたいので、ぜひご協力をいただきたい」と、電話がかかって来ました。寿司屋の親父さんに本当にできるのかなと思いましたけれども(笑)、あんまり熱心だから行きました(画像24)。市長が背広を着て挨拶に見えたので、「市長、ここで帰ったら次はないぞ」(笑)と言ったら、ネクタイを外して一緒に植えてくれました。中村会長、覚えていますか? 会長から電話があり、「宮脇先生、市長に呼ばれました」と。「怒られたか?」と聞くと、「それが、良い事をしている。来年からは市も一緒に協力させてほしい」と。こういうことで今、発展しているわけです(拍手)。全国から来ている何十人もの皆さんも身銭を切って一緒にやっている。勿論、寿司も食べますから商売にもなるわけです(笑)。昨年は、皆さんと一緒に鎮守の森をつくりました。(画像25)

肢体不自由児が笑った


(画像26)

(画像27)

仙台で植樹をした時に、私は感動的な場面に出会いました。絶対に笑ったことがないという肢体不自由児が、先生や父親に連れられて来ていましたが(画像26)、苗を植えた時に初めて笑ったのです(画像27。拍手)。

たとえ体が不自由でも、自らの手で木の苗を植えることによって、新しいいのちを芽生えさす喜びが感じ取られて、思わず微笑んでしまう。素晴らしいことだと思います(拍手)。このようなことは、実は生長の家の目的の一つではございませんか?(拍手)

 

全力で生きよう!

これからカンボジアでも、神谷名誉会長と共に、現地の皆さんと力を合わせて木を植えて参ります。

生き生きとしたいのち溢れる経済的な地域活性の原点は、「いのちの森づくり」からです。

皆さんの決断と身近な足元からの実行力によって、広島から、中国地方から、日本から世界に発信してください。皆さんが主役です。よろしくお願いいたします。(拍手)

最後に生物学者として、皆さんに一言申し上げます。生物学的には、Homo sapiens:ホモ サピエンス、ヒト属のヒトは、女性は130歳まで、男性もよっぽど悪いことをしなければ120歳まで生きられます(笑)。ここにいらっしゃる女性の方、まだ半分もきていないでしょう(笑)。

私は昨日、まだたった83歳になったばかりです。あと30年以上は生きられます。ただ、生物は動かない、働かないとすぐ死んでしまいます(笑)。だから過労死なんてあり得ませんぞ。

身体も頭も動かしながら、女性の方は130歳まで、男性の方も120歳まで、あなたのため、あなたの愛する家族のため、人類を支える全ての生き物の未来のために、できるところから、足元から頑張っていただきたい。私は木を植えることに全力を尽くします。どうも、ありがとうございました(拍手)。


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