女性経営者,繁栄ストーリー

教えに導かれ正しい食生活に目覚め弘める

2015年5月16日  


生長の家岡山教区栄える会副会頭
(有)エステニュウサロン代表取締役  近藤 かこ

近藤かこ

神の子の皆さま有難うございます(拍手)。私は18年前、宇治の2泊3日の繁栄練成会に、初めて参加させていただきました。もうどうにもならない悩み苦しみ一杯で、何も知らないまま参加させていただきました。

熱心な大本教信徒の農家に生まれて

私は倉敷市で農業を営む家に、6人きょうだいの長女として生まれました。両親、特に父は大本教の熱心な信徒でしたから、私も自然と大本教の教えの中で生きて来ました。父は寡黙ですが農業に熱心に取り組んでいました。桃などの果物を植えたり、植える人が少なかった時代に煙草の葉を収穫したり、牛を飼ったり、畳表になるイグサですね、夏には収穫するのが重労働なのですが、そのように様々な事にチャレンジしておりました。

けれど、どれもなかなか上手く行かず、苦しかったのでしょう、父はだんだんとお酒を飲むようになり、時には母に暴力を振るう時もありました。そんな父を見るのは辛く、その時の父は嫌でした。でも朝になると、父は早朝から起きて、神棚にお塩とお米をお供えして、祝詞を上げて、その父の声で目が覚めるという生活を送っておりました。父は私を大変可愛がってくれ、「あんたは何でも出来る。何でも出来る良い子じゃ」と言って、褒めて育ててくれましたので、私は父が大好きでした。

しかし父の失敗もあり、子供も6人いて大変だったと思いますが、私達が大きくなる頃には、沢山あった田畑はなくなっておりました。そのような中で育ったので、いつしか私は「とにかくお金が必要なのだ。お金が無いからこのような事になるのだ。私は絶対自分でお金を稼いでみせる」という想いが、長女でもあり、心に芽生えていました。

50歳で出家した父

その後、縁があって主人と結婚しました。ところが父が50歳の時に出家してしまったのです。頭を丸めるのではなくて、柳ごおりひとつ持って家を出たのです。離婚はしておりませんでしたが、自分が信仰していた大本教に入ってしまいました。そして二度と帰って来ませんでした。

末の妹はまだ中学生でしたし、母も大変だったと思います。でもまだ若かった私には、何で父がそのような事をするのか全く解らず、ただ、辛い、辛いという想いで暮らしておりました。父はそれから二十数年間、大本教で農作業をしたり、神殿を建てるための重労働にずっと従事しておりました。

よく因縁と言いますけれども、父も「因縁があるから」という事を言っておりました。実は私の家は、先祖が4代遡って、全く子供が出来ない家でした。養子を貰っても亡くなるとか、子供が生まれても亡くなったりして、両養子を貰って繋いで来た徳の無い家だったわけです。今も供養しておりますが、母の前に養子に来た子は亡くなり、母が2歳の時に養子に貰われて来て、その後、父が母と結婚して婿養子に入りましたが、父も14人兄弟の三男坊で、長男は養子に行き、二男は戦死し、三男の父は養子に行き、四男が後を継ぐ家でした。そしてようやく私達6人兄弟が生まれたので、4代目でやっと子供が育ったという家でした。

今にして思えば、父はもう亡くなりましたので訊くことは出来ませんが、自分が出家することで、家の因縁を断ち切ろうと思ったのではないかと思います。一方、主人の家は家族、特に祖母が熱心な大本教の信徒で、1ヵ月家を留守にして岡山県下を伝道して歩くような徳を積んだ家でした。私達夫婦は共に実家が大本教でしたから、私達も大本教の教えに基づいて生活しておりました。

生長の家の教えに触れその魅力に惹かれる

私は初め化粧品会社に勤めていましたが、その頃、街を歩くと、銀行や喫茶店や美容院などに『白鳩』誌が置いてありましたので、読んでおりました。その頃の私は暗かったと思うのですが、『白鳩』誌に書いてある素晴らしい体験談などを読んでも、信じられない気持ちでおりました。その明るさが私には眩しくてたまらないような気持でしたが、でもすごく魅力があって、捨てられなくて、20年間ほどずっと溜めておりました。

私の勤めている会社の隣にハリウッド化粧品のコーナーがありまして、皆様ご存知かもしれませんが、当時の牛山清人社長は生長の家の熱心な信徒で、毎月出る美容の小冊子に、徳久克己先生の明るい光の言葉が3頁に亘って書いてありました。とっても明るい言葉でした。私にとっては信じられないような世界でしたが、美容の記事よりもその記事に惹かれて切り取ってファイルして、何かある度にそのファイルを読んだり、『白鳩』誌を読んだりしておりました。

昭和56年から、私はエステの仕事をするようになり、自分の店を持って仕事をしていましたが、当時は簡単に宣伝するとどんどんお客様が来て下さるという時代でしたので、その流れに乗って私の店は繁盛し、どんどん店を拡張して行きました。

店舗を拡張して失敗し大きな負債を抱える

けれどもエステシャンの育成も行き届かないのに店を拡張したことから、お客様からのクレームや、取引先とのトラブルが続くようになり、店舗拡張に必要な資金の借り入れは、8千万円にもなっていました。どうしてよいか解らず、幾つか店も閉じてやる気が全くなくなり、カーテンを引いて自宅で横になるような状態でおりました。

私は大本教にも相談に行きましたがピンと来るものがなく、色々な経営コンサルタントにも相談しましたがやはり駄目で、どうしてこの場を切り抜けようかと悩み苦しむ日々を送っていました。

そんなある日、近くの神社に置いてあった『白鳩』誌を手に取りました。そこに宇治での繁栄練成会の案内が書いてあり、「これしかない」と思い、平成8年に宇治に駆けつけました。

私は、講話を聴いてただ涙を流しておりました。悲しい訳ではなく、辛い訳でもなくて、ただ何か込み上げて来て抑え切れない涙を流しながら、3日間を過ごしました。ある時、楠本先生のお宅の表札に、奥様のお名前が「幸」と書いてありました。

私の母の名前も幸というのです。何か楠本先生ご夫妻が私の両親のように思えて懐かしく、それから1年間、毎月、一所懸命に宇治に通って練成を受けました。

私を変えた「祈り合いの神想観」

宇治に通いながら、私は組織にも入りまして、講師や先輩の方の導きのままに、言われる事は全て実践しました。先祖供養も一所懸命やって、霊牌も沢山書き、聖使命会員にも親族や縁族を沢山入れました。そして3回目の練成会でエステの大先輩にお会い出来、仕事の悩みを相談すると、「ちゃんと他にも方法があるから大丈夫」と、具体的な指導をしていただき、マイナスを抱えたままで、半年後には30坪のお店を出すことが出来ました。

練成会では、戦後父親から莫大な借金を受け継いだ方が、「神想観」を真剣に実践して、短期間で切り抜けたという体験談を聴き、神想観という言葉が強く心に残り、帰宅後は主人と一緒に早朝神想観に通いました。

その頃の私はまだ自分の事で頭が一杯で、生長の家のご本を読む時も、「豊かになるには」とか、「繁栄」とか、とにかくお金に関係ある所ばかり読んでおりました。

そんな時に練成会で、祈り合いの神想観があり、祈って貰う方は内容を話すのですが、ある教区の栄える会の会頭さんが、「会員拡大500名を祈って下さい」と言われたのです。そのような事を祈る方もあるのかと、初めて聞く内容に驚いてしまいました。

借り入れの問題はやがて苦境を潜り抜けたのですが、毎月の仕事が順調に行くのか心配で、とにかく不安が去らないのです。それを栄える会の先輩に会うといつも相談していたのですが、「あなたもうそろそろ生長の家の事を一番にやりなさい。そうすれば商売はうまく行くよ。もし行かなかったら、その仕事は違うんだから、もう止めなさい」と言われたのです。

そんな事でいいのかな、仕事は大丈夫なのだろうかと不安でしたが、私は必死でしたから、「毎朝仕事場に出たら、お客様や今からお誘いしたい方、お世話になった方や会員さんなどの名前をノートに書いて、祝福の祈りをしなさい」と指導され、「聖使命会員や栄える会会員の拡大目標を決めなさい。中途半端な数字じゃ駄目」と言われたので、取りあえず倍増しようと決めて実行しました。

このようにして3年後に目標を突破することが出来ました。気がつくと、お店は順調に着実に経営でき、不安な気持ちはなくなっていました。有難いことでした。

入院、手術を経て食の大切さに気付く

会員の拡大も叶い、栄える会の活動も行う中で、仕事の忙しさにかまけて、食生活が疎かになってしまいました。菓子パンや果物や甘いもので食事をごまかしていたのですが、今から9年前、腹痛で目が覚め、病院に行きますと、腸閉塞で即入院、手術となりました。小腸が真っ黒になって癒着していて70センチ切りました。

当時の私は凄く体の冷えがあり、便秘がちで、朝から疲れていて、そのような中での自壊作用でした。お陰で私は「生活のリズムと食」というものの大切さを身をもって知り、仕事の内容をより深めて行く転機となりました。

私はエステシャンですから、女性を若く美しくするために、肉体の外からの美を追求していましたが、自分が腸を患ったことで、腸と健康の関係を深く学びました。腸が丈夫で綺麗であれば綺麗な血液が出来、健康な細胞が出来、いつまでも若く美しくいられるという事が解りました。

色々な本も読みつつ勉強して行く中で、谷口雅春先生が書かれた『心と食物と人相と』という本を読ませていただき、肉食の事、食べ物と平和、食べ物は運命を変える、ということが書かれておりました。

現在、生長の家でも「ノーミートの食生活をしましょう」という運動が行われていますが、正しい食生活とは何かということに目覚めた私は、今マクロビオティックと言われている、日本の伝統食の料理教室で学び、私の仕事としてその普及にも励むようになりました。現在、月に一度、岡山や広島、東京でその教室も開いています。

テキストの『生長の家ってどんな教え?』の230頁に、

昔から、仏教では「不殺生」ということが戒律の中にありまして、「生あるものは、できるだけ殺さないようにしよう」という態度が教えの基本になっていましたが、今はその戒律を守っている教派もあるし、守っていない教派もあるんです。生長の家でも、立教当初から肉食は勧められていませんでした。しかし、人の家などに行って肉料理を勧められた場合は、その人の愛念を無にしないために、「これは肉を食べるんじゃなくて愛情を頂くのだ」と考えて無下にお断りしない–そういう生き方がよいとされてきました。

しかし、最近のように各国の経済が豊かになってくると、人々の食生活がどうしても野菜や穀類の消費から肉の消費に替わっていくのです。それが今、インドや中国、ブラジルも含めた中進国–これらは皆、人口の多い国々ですが、そういう国々の経済が発展してきて、世界の多くの人々の食生活が菜食から肉食に替わってきている。すると何が起こってくるかというと、大量のウシやブタを飼うために広大な土地が必要になって、森林伐採が急速に進行するようになった。こうなると、ご存じのとおり地球温暖化が進んでいくことになる。(中略)

そういう地球規模の大きな変化が起こっている時に、宗教者として嬉々として肉食をしているのではあまりにもオカシイというので、生長の家では、昔から言っていることに新たな緊急性と意味を加えて、「肉食を減らす」ことをもっときちんと運動の形で展開していこうとしているのであります。

という風に谷口雅宣総裁は説いておられます。私達の歯を見ても、32本の歯のうち、米などの穀物、主食を食べるための歯が上下合わせて20本あります。そして野菜や海草を食べる歯が8本、全体の4分の1ですね、そして肉や魚を食べる犬歯、糸切り歯ですね、それが4本、全体の8分の1、そのバランスで食べるということ。そのように神様が歯を造られているのではないかと思います。

私もお客様にエステを通して、正しい食生活の大切さをお伝えしております。お陰様で私達夫婦も、生長の家の教えに導かれて、共に地方講師となり、生長の家の「人間神の子・無限力」の教えと共に、地球温暖化の問題や、正しい食生活の大切さ、ノーミート生活の意義をお伝えしております。これからも心身のエステの仕事を通して、大切な事をお伝えしてまいります。有難うございます(拍手)。

◯平成26年7月「繁栄能力開発研修会」講話より:宇治別格本山にて◯

 


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