体験談

信仰のお蔭で与えられた私の道しるべ/栄える会中央委員、札幌教区栄える会会頭 高橋正樹

2021年8月3日  

 手先の器用さと技術的な事が得意だった私は、工業高校を卒業して社会人として働くことに希望を持っていました。しかし、世の中はそんなに甘くはありませんでした。工業高校を卒業して建設機械の会社に就職し、技術者の道を歩まんと意気揚々のはずが、実務に就くと自信が消え不安がつきまとうのです。不安を払拭するために学校でも買ったことのない専門書を購入して勉強しました。社会に出たら他の人には負けないと強がっていたのも精神的な負担になっていたのかも知れません。
 頑張ったおかげかそれなりの評価を得られるようになりましたが、身体を壊して札幌に戻り手術を含めて1年以上入院をしました。復職するように勧められましたが、退社して身体を鍛え直して再出発に懸けました。2年間のリハビリを兼ねた仕事のうち、今の仕事である住宅設備関係の会社に就職しました。しかし、私が27歳の時、社長の考えについていけずに会社を辞めて独立しました。そこからがむしゃらに働いて仕事はどんどん増えていき、寝る暇もなく仕事をしていました。友達は「人間生まれてくる時は皆同じエネルギーを持ってきているから、長く行きたいなら細く長く使わないとお前みたいに太く使っていると長く生きられないぞ」と言っていました。
 数年後、仕事で付き合いのあった地元の建築会社の社長に誘われて誌友会に参加したり、谷口清超先生の御講話を直接拝聴させていただき、人間は神の子で、神の願いに叶っていれば神様とのパイプは太くなり無限供給されるということでした。「使えば減る」という不安から解放された私は疲れを忘れて働きました。仕事は9割以上が下請けでしたが施工工事を専門に行っていました。一番多い時は一般住宅・マンションなど建築確認申請件数の1割近くを札幌圏でこなしていました。
 しかし、元請け会社の過激な受注競争により下請けの発注金額は下がる一方でした。また、元請けが社員に対する労働条件を改善する事で、そのしわ寄せが下請けにのしかかり素直に従わない当社は発注をきられる事態になりました。普通であれば絶望に打ちひしがれるところですが、生長の家の教えのお蔭で、いつまでも失敗を引きずっていると次のチャンスを掴み損ねると思えたので、今までのことを思い切って心から離すことにしました。すると、機器メーカーの関係で仕事が入りだし危機を脱することが出来ました。自社で直接仕事を受注する元請になろうと提案型の営業も積極的にしました。更に、社会に必要とされる会社になれば安定するのではないかと考えるようになりました。
そのような時に、確か平成14年頃だったと思いますが、日本武道館で行われた「相愛会・栄える会合同全国大会」で、生長の家総裁・谷口雅宣先生の御講話から環境問題の奥深さを感じました。特にエネルギーの争奪や農作物の不作による難民の発生などを聴き、私のこれまでの環境に対する問題意識をはるかに超えていたことに衝撃を受けました。
そこで私は快適な暮らしを可能にする省エネルギーシステムの普及を目指そうと思いました。仕事としてはまだ早く商売になる迄には時間がかかりましたが、取組が早かったおかげで自然エネルギーを利用する空気熱ヒートポンプ暖房設備に関しては一番実績を上げる事が出来ました。また、一つの太陽熱コレクターで給湯や暖房に多機能利用するシステムを開発し特許も取得しました。更に地下水を利用した融雪槽を使って地中熱ヒートポンプの採熱をするシステムを考え、北海道の補助金で実証実験を行い、1の電気入力に対して5倍の熱エネルギーが出せる事が実証されました。太陽熱システムと融雪槽利用システムは2年連続で「北海道新エネ大賞」と「奨励賞」を受賞しました。業界の中で知名度や信用も上がり、コロナ禍の中でも右肩上がりの成長を遂げています。
 生長の家の教えのおかげで仕事の道しるべが与えられ、充実した毎日が過ごせる事に感謝しかありません。


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