横浜国立大学名誉教授 宮脇 昭
只今、ご紹介いただきました宮脇昭でございます。私は「いのちの森づくり」で、日本はもとより、世界十数ヵ国の現場を歩いております。
本日は、私が生まれた岡山県、学んだ広島県、さらにいつも調査しております出雲を含めまして、島根県、鳥取県、山口県の中国地方の皆様に、限られた時間ではございますが、「今、一番大切なこと」「今すぐ、どこでも誰でもできること」、そして、「何が幸福であるか」について、お話ししたいと思います。
現在は、人類が夢にも思わなかったほどの物とエネルギーがあり余る時代でありますが、それでも「まだ足りない。私は不幸だ」と言う方がいる。そして動物もしないような、家庭内暴力や虐待、親子夫婦の殺し合いまであるような有様です。自殺者も毎年3万人以上出ています。ちょっと困ればすぐに人を傷つける。このような不幸な問題が起きるのは、どこに原因があるのでしょうか?
それはいのちの問題であり、心の問題であります。生長の家の皆さんがおっしゃるように、我々が生きているという事は大変な奇蹟なのです。40億年前の原始のいのちの細い糸が、よくぞ切れずに続いているから、今の我々があるわけであります。この細い糸が一度切れたら、絶対に今日、あなたは存在していません。
そして何のために生きているのか? それはあなたの愛する人や、ご家族の、人類の遺伝子を、未来に残す一里塚として、100年足らずのこの瞬間を生きていらっしゃるわけです。
3年前にリーマンショックが起きました。私に言わせれば、ただの紙切れである札束や株券が、どこかに偏っているだけのことを、マスコミや関係者は、100年以来の大異変であると大騒ぎしたのです。
何をおっしゃるか! 40億年のいのちの歴史の中では、何百回も危機がありました。しかし危機はチャンスです。4億年前に海の水が引いてしまう海退期の大異変により、それまで水中に生息していた生物が陸に上がり、ゆっくりと時間をかけて、動物と植物の2つの幹に分かれて、その先端が、自らを“知恵あるもの”とラテン語でHomo sapiens:ホモ・サピエンス、ヒト属のヒト、あなたがあるわけです。
今、地球温暖化ということで、大騒ぎをして、省エネ、省エネと、政府も家庭も学校も、二酸化炭素(CO2)削減に取り組んでおられます。
勿論エネルギーの使用を抑えることは重要ですが、どんなに我慢したとしても、使用エネルギーをゼロにすることはできません。車もそうですし、工場も動かさなければなりません。
但し、世界の多くの学者が言っているように、かなり危機的な地球の状態でありますから、引き算だけでは駄目で、今すぐ、どこでも誰でもできる足し算をする必要があるのです。
植物の歴史を振り返りますと、3億年前、初め藻や苔の類からシダ類になり、今と同じように、間氷期(氷河期と氷河期の間)で温度が高く、雨が多い気候だったため、原始のワラビの大森林ができました。それが光合成によって、太陽の光のエナジーを取りこんで、どんどんと炭素(カーボン)を吸収して、大森林ができ、それが次の氷河期に、土の中に埋まって、3億年、バランスが取れていたわけです。
その3億年の間に、地熱や地圧で石になったのが石炭、水になったのが石油です。ガスになったものもあります。
それを人間が190年前の産業革命を切っ掛けに、これらの化石燃料を地中から掘り出して、今日まで使用し続けて来ました。
化石燃料は、燃やせばあっという間に化学反応を起こして、炭素:カーボンが出ます。それが空気中の酸素と一緒になってCO2になり、温暖化の元凶になっています。
ではどうすればいいか?
現在の世界の気候は、氷河期と氷河期の間で、局地的には気温が低い所があるが、地球規模では高くて、しかも雨が多い。木を植えるにちょうどよい時期です。
従ってもう一度木を植えればよいわけです。今すぐどこでも誰でもできること、それは木を植えることなのです。
何故か? 植林は、地震や台風や津波など災害からあなたとあなたの愛する人のいのちを守るだけでなく、地球規模では生物の多様性を維持し、温暖化の元凶であるカーボン、炭素を吸収固定するからです。
ただし、植林にも正しい植林とそうでない植林とがあります。贋物の植林を行うぐらいなら、むしろ植林しない方がましです。
私は世界の十数カ国で木を植えて来て、「4千万本の木を植えた男」などと言われています。私の植樹方法は〝宮脇方式〝と呼ばれ、いくつか守っていただきたいことがあるのです。
その1つは「その土地本来の主木を植えること」。これを間違えたら駄目です。
次に、主木の種、これはシイ、タブ、カシ類では、いわゆるドングリですが(画像①)、それを30時間冷水につけて中の虫を窒息させたあと、ポットに植えて(画像②)、根が充満したポット苗(乾燥重量は300グラム)を造り、それを植樹します。(画像③)
主木群を中心に、その森の構成種群の幼木を混ぜて、密植1平米に3本の幼木を植えるのです。この方式ですと、初めの2~3年間は除草が必要ですが、後は管理しなくても着実に育ち、地震、津波、大火などの災害に強く、大きく成長します。これは今すぐ、どこでも、誰にでもできる「いのちの森づくり」です。
色々と目先の事でやらねばならぬ事もあります。それも大事ですが、あなたとあなたの愛する人たちのいのちを守るために、そして温暖化をストップさせるためにも、「いのちの森づくり」を進めていただくことです。
したがって、私はこのような素晴らしいゼミナールが、このまま終わるのは勿体ない。是非、この次からは、雪が降ろうと雨が降ろうと、午前中は木を植えて、午後にその成果を互いに発表し合う(拍手)。そのようなゼミナールを開催していただきたいと願っています。
私は岡山県の農家の四男坊に生まれまして、新見農林学校から東京農林専門学校(現東京農工大)に進みました。卒業後1年母校で教師を務めた後、広島文理科大学で生物学を勉強し直しまして、卒論に「雑草生態学」を選びました。
指導教授に、「一生陽の目を見ないかもしれないが、人のやら ない分野なのでやり甲斐がある。やる以上は生涯を懸けてやれ」と励まされました。
その後、東京大学大学院に入り、小倉謙先生の指導のもと、雑草の研究をさらに進めていくうちに、その土地の持つ潜在的な生物生産能力が大きな問題であると思うようになりました。それは素肌、素顔の緑、「潜在自然植生」を見極めるということです。
もともと日本の国土の98パーセントは自然の森だったのです。しかしその森は、時間と共に大きく劣化していて、土地本来の森ではありません。
「潜在自然植生」とは、人間の影響力を全てなくしたと仮定した時に、そこの自然環境の下に自然に生えてくる木や草がありますね。つまり「素肌の木々や森」です。どのような森を支える潜在能力がその土地にあるのかを見極めることが大切なのです。
私は東京大学大学院を経て、横浜国立大学の助手になり、昭和33年に日本の生態学者として初めてドイツ政府に招かれて2年半留学し、R.チュクセン教授の指導を受けて、徹底的に「潜在自然植生」について学びました。
教授と共にヨーロッパ19ヵ国を巡りましたが、例えばスペインは森がありません。ヨーロッパでは、家畜を放牧し、下草を食べさせたために、森が破壊されて荒野になってしまいました。
ドイツには、「森の下にはもうひとつの森がある」(Der Wald unter dem Wald)という諺があります。邪魔物のように見える下草や低木などの「下の森」が、森を支えているのです。
残念ながら日本では、木を切って芝生を植えた公園が、沢山作られて来ましたが、これは「公園景観」、つまり「荒野景観」なのです。芝生は本来の森に比べて、緑の表面積が30分の1しかなく、防音機能も、空気の浄化機能も30分の1しかない上に、管理費が永遠にかかる。私が提案する21世紀の都市公園の形は、ニューヨークのセントラルパークのような森の公園です。それこそが新しい時代の都市公園、市民のいのちを守る都市の森の姿です。
一方、私達日本人は、2千数百年この方、森を削って田んぼや畑や町を造りましたが、必ず「鎮守の森」を造ってきました。
これは調査中に愛知県一宮市で撮影した鎮守の森です。この森こそ、私たち日本人が嬉しい時も悲しい時も、境内で喜び、悲しみ、憩い、癒され、そうやって過ごして来た森です(画像④)。私はこの社の中に、神様がいらっしゃるのか、仏様がいらっしゃるのか、あまりよく分りませんが、いのちを守る神様であり、仏様であると思います。
鎮守の森は、潜在自然植生の森で、シイ、タブ、カシ類が植えられています。深根性、直根性の木ですから、地中深く根を張り、台風や地震や津波にも倒れません。
しかも常緑広葉樹なので、太陽の光を浴びてよく伸びる。冬も常緑で水を含んでいるために、火防木(ひふせぎ)や大津波に対しては波碎の重要な役割も果たします。阪神大震災の時も、カシやシイの常緑の木が1列あるところでは、火はそこで止まりました。いざという時の逃げ道になり、避難場所ともなるのです。(画像⑤)
しかし残念ながら、現代人は鎮守の森という言葉さえ、理解できなくなって来ている。かつての日本人の叡智は、今どうなっているのか、私達は60年かけて日本列島の緑の現状を調べました。森が多いという割には虫食い状態になっているのです。
日本文化は照葉樹林文化とも言いまして、シイ、タブ、カシ、ヤブツバキの葉のような、いつも緑で太陽の光で葉がキラキラ光る森に囲まれていました。これが日本民族が長年いのちを支えて来た、背骨の森です。
ところが今、1億2千万人の92.6%が定住しているこのような土地本来の森は常緑広葉樹林帯で0.06パーセントしか残っていません。
今皆さんが見ている森は、ほとんどがエコロジカルには贋物の森なのです。日本民族が生き延びるためには、どうしても土地本来の森を造っていただきたい。そしてそのノウハウを世界に発信していただきたい。これが私の望みなのです。
ヘリコプターで飛び地上を見ますと、昔から生き残った集落は、いわゆるセメント砂漠の東京周辺でも、この安佐地区も、出雲、鳥取、松江などもそうですが、立体的な集落の森に囲まれて、時には落ち葉が落ちても、日陰になっても、我慢しながら、広葉樹林の文化を築いて来た。これが遠い昔から日本人が培ってきた叡智なのです。
鉄やセメントなどを材料にしてできた住宅砂漠で生まれ、セメントでできた学校で学び、セメントと石油化学製品でできた工場で働いている人達が(画像⑥)、いつまで古来からの豊かな知性や感性、いのちや遺伝子を守っていけるかという状況なのです。
人間は生物的な本能で、緑化を要求してきます。しかし、今まで行政や社会がやった緑化とは、高額なよそものの木を持って来て、しかも1年保証でしかありませんでした。
宮脇方式の森は永久保証です。次の氷河期が来るまでもつ森を造っていただきたい。そのためには、大きな木は必要ない。土地本来の潜在自然植生の木の幼苗を植えれば、数年で大きくなります。本物とは、長持ちするもの、管理の掛からないもの。ポット苗は、自分で作れば無料です。
植えた植物は命を懸けている。私も本気でやっているのです。
新橋から海岸沿いに5分歩いた所に、浜離宮があります。今から250年前に植えられた、タブノキやシイやカシ類の木々が150回という江戸の火事や、関東大震災や、焼夷弾の落ちる中を生き残って、今日なお東京砂漠の緑のオアシスになっています。
その森の主木である、タブやシイやカシ類のいわゆるドングリと、それを支える3役、5役のいろいろな木の種から30種類ほどのポット苗をつくる。植える時には混ぜる混ぜる混ぜる混植・密植します。(画像⑦)木は互いに競争しながら、少し我慢して、共に伸びていく。これが40億年続いて来た生物世界の原則です。
そうやって植えて9年経ったのがこの森です(拍手)。(画像⑧)これが宮脇方式であります。いのちの森を造るために、徹底的に現場、現場、現場。現場を重視します。私はドイツの主任教授から、自分の五感をフル稼働して、目で見て、手で触れ、匂いを嗅ぎ、舐めて触って、そうやって木を植えて初めて生き物が解ると教わりました。
ではどうやって、土地本来の主木を見つけるか。都会の住宅砂漠でも小さな祠や古い屋敷林があります。そこでは自然が微かな情報を発しています。それを正しく受け取ることです。
いい加減に物を観ていては掴めません。土地本来の主木を取り違えないことです。そして厳しさに耐えた物のみが本物です。山が荒れるのは、贋物を植えているからです。見えない全体をどう読みとって、問題が起きる前に対応するか。それが繁栄する人間の叡智というものです。それが商売の根源でもあります。(次号へつづく)
◯「生長の家繁栄ゼミナール」(平成23年1月30日)におけるゲスト講演:
広島市安佐北区民文化センター◯