体験談

植木職人として自然との共生を実感/群馬教区栄える会 長島 好男

2022年12月7日  

私は以前、自動車電子部品を開発する仕事をしておりました。しかし、52歳の時に不況の影響で、勤務先の会社が早期退職支援策を打ち出しました。当時3人の子供はまだ学齢期にあり、不安がありました。会社が、いくつかの通信教育受講を支援しており、その中にあった造園業教育支援を受講しました。私は元々菜園と庭樹が好きで、日頃から庭の菜園だけでなく庭の樹の剪定を行っていたこともあり、造園業の教育を受け植木職人への道へと進むことを選びました。

庭の剪定が何故大切かといいますと、森が繁っていると害虫がつくので手を入れる必要があるからです。庭師をしていると、太陽と水と風が庭の景観に大きく影響していることが実感としてよくわかります。庭は人間によって「人工的に作られた空間」なので、手を入れる必要があり、それが職人の務めです。ただ、植木職人へ転職したての頃は給料が安く、経済的に苦労しました。当時の私はいずれ独立することを想定していました。頭の中は造園一辺倒で、朝早くから出勤していましたが、妻や家族の支えがあってこそ、続けることができたと感謝しています。家族は不思議と病気する事も無く、長男、次男、長女も女房に任せきりでしたが、長男・次男ともに立派に成長し、国立の大学に入学することが出来て経済的にも行き詰まることもありませんでした。

私は転職前の仕事では機械や電気といった分野を扱っており、特に自然現象の全てに関わっている電気に関心をもっていました。一方、植木職人になって強く実感していることは、樹や森は人間だけでなく全ての生物が生かされている場所、いわば「森は生命の宝庫である」ということです。これは埼玉教区の山岸昭弘・栄える会会頭と、2008年から毎年続けている足尾銅山の植樹活動で強く感じていることです。足尾銅山は、それまでの掘削で山が丸裸になり、公害問題も起こしていました。樹木が一本もなかったのです。当初「元に戻るのに500年かかる」といわれていました。儲ける事だけが目的で、次世代のことを考えていなかった人間の利己主義の結果です。

私達の植樹活動は2008年から2022年の間で13回行い、延べおよそ1、160本植えたことができました。今年の5月に参加したとき、サルやキジといった動物たちが戻ってきていたのです。これらの動物たちが戻ってきたということは、生態系が戻ってきたということです。樹木だけでなく他の生物も共に生きていること、森の力、樹木の力を実感しました。森はまさに生命の宝庫です。

また、植樹はその土地の自生の固有の樹木であることが大切です。例えば、杉ばかりを植えてもダメで、その土地の環境にあった樹木を混合して植えて初めて、生態系が戻るのです。庭でいうと、垣根を植えるなら、その土地の自生樹木が良いということにも通じます。

足尾銅山の植樹活動の経験を通して、最近は自然との共生に関心が向き始めましたが、林業をはじめ農業、漁業の次世代への継承がなくなっていると感じます。職人が減少する中で、次世代の若い人達に自然と共生する「日本の伝統」をどう伝えるか、若い人達へその大切さを伝えることだと強く感じています。これは難しい課題ですが、色々な社会状況が変化する時代の中で、徐々に若者の意識も変わって来ると思っています。日々の仕事や行事等の中で、日本の伝統的な培ってきた物の素晴らしさを伝えることを通して、自然と共生する大切さを伝えていきたいと思います。

 


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