信仰体験談

生長の家の神様に導かれて/長崎南部教区・松尾義勝

2017年1月25日  

相愛会の幹部の方々にこれまでの生長の家の信仰と活動についてご紹介いただくシリーズ「信仰・活動随想」の第二弾です。

今回は、総轄実行委員の松尾義勝氏(長崎南部教区連合会長、九州ブロック担当)です。

 

◇信仰・活動随想(2)

生長の家の神様に導かれて

 

相愛会総轄実行委員

相愛会長崎南部教区連合会長 松尾義勝

 

合掌、ありがとうございます。今年もよろしくお願いします。

私は平成28年度の定期役員改選で、相愛会長崎南部教区連合会長を拝命しました。

住まいは三方を山に囲まれた、里山の自然豊かな長崎県の西山町に住んでおります。

 

初めて生長の家を知ったのは、小学生の頃、毎週日曜日の朝にラジオ放送「幸福への出発」を聞いたときです。

当時は谷口雅春先生のご講話でした。

そして、西山町に住む白鳩会の方が毎月私の母に愛行されていた普及誌『白鳩』を読んで、「良いことが書いてある」と思いました。

 

中学校を卒業し、長崎の水産高校へ入学、スポーツはカヌー競技をしました。

卒業後、長崎の県漁連に就職し、鮮魚を関東や関西の市場へ出荷販売する仕事をしていました。

 

2年目に長崎県五島福江へ転勤となりました。

鮮魚船で魚の出荷作業を行う業務でしたので、毎日疲れ果て、次第にストレスがたまり、夕方になると、酒を飲むという生活を送っていました。

 

そして20歳になった時、成人式を過ぎて、五島で仕事中のことでした。

私の行動が不安定となり、長崎の病院で診察をすると、「鬱病」との診断で入院しました。

院長からは「君の病気は治りにくい」と言われ、失望しましたが、毎週見舞いに来る父母が『白鳩』誌を持ってきてくれました。

 

私は本を読むうちに心が明るくなりました。

半年程たった頃、父母との面会で「心配をかけてすまない・・・」と思う気持ちが湧いてきて、両親に対し心から感謝することができ、涙がとまりませんでした。

その後、院長の診断で「鬱病は完治しているから、退院してもよい」との許可が下り、約6か月で退院し、秋から職場に復帰することができました。

 

そして、25歳で妻とお見合いをしました。

「妻の家庭も生長の家だ」と聞いたとき、何か深い縁を感じ、「生長の家の神様に導かれている」と実感しました。

昭和55年11月に結婚し、生長の家に入信、子ども5人(4男1女)にも恵まれました。

5人とも生命学園と青少年練成会に通わせ、生長の家の教育で育てました。

 

平成7年に地方講師となり、平成13年より西山相愛会長、その後、壮年層活動対策部長や教区連合会副会長、教区連合会事務局長、平成28年10月に相愛会長崎南部教区教区連合会長と総轄実行委員を拝命しました。

今後は20歳の時に生長の家に救われた体験を生かし、新人の拡大に邁進したいと思います。

 

未だ役職を受けたばかりですが、全国の相愛会がますます繁栄することを願い、日々精進させていただきます。

 

(2017.01.25 相愛会総轄実行委員 松尾義勝)


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