イクメン・パパの奮闘記!,楽しい子育て,生長の家本部講師

息子の茶髪(2)/三好雅則

2015年5月17日  

 

 三好 雅則(本部講師)

 

<“子離れ”ができていない>

この“金髪事件”で私には、はっと気づいたことがある。

子供たちに対する私の観方は

子供たちが小学生の時と変わっていなかった、ということだ。

 

子供はそれぞれ成長し、“独立した存在”へと脱皮しているのに、

私の観方は少しも成長していなかった。

 

長男の金髪を目の当た時、

確かに私は、彼が学童だあったころと同じような気持ちで対していた。

私に“子離れ”ができていなかったのである。

 

もちろん、これは「子供の言いなりになれ」という意味ではない。

少なくとも思春期を迎えるころまでの子供には、

社会生活上のルールはしっかり教える必要があるが、

その時期を越えたら、

親には、その自立を助けるような姿勢が必要であることを痛感させられた。

 

<甥の放蕩を直した良寛さんの涙>

こう書いて来て、良寛さんの、こんな逸話を思い出した。

良寛さんには放蕩三昧の甥がいた。

 

ある時、そのことで悩んでいたその母親から、

説教するよう依頼された良寛さんは、その家を訪れた。

 

その息子は叔父(良寛さん)に説教されると思って構えていたが、

3日3晩経っても説教する気配はない。

 

いよいよ帰ることになり、

玄関で帰り支度をしている良寛さんから、この甥はこう頼まれた──

「ワラジの紐を結んでくれないか」。

 

甥が言われるままに紐を結ん差し上げていると、

襟元に冷たいものが落ちてきた。

顔を上げると、良寛さんの目に涙が溢れていた。

 

以来、この息子の放蕩は、

ぴたりと止まったという。

 

相手を思いやる深い愛──言葉でいえば実に簡単なことだが、

良寛さんの、こうした行為には強く心打たれるものがある。

 

日々の生活の中で、自覚の中心をどこに置いて生きているか、

それが自ずからその人の一挙手一投足に現われる。

 

息子の金髪を見た時、私は一体、

自覚の中心をどこに置いていたのだろうか。

 

荘厳な「神性・仏性」を信じて、

温かくじーっと見守るような“愛の世界”から、

大きく離れていたに違いないのである。

 

<親は子供によって育てられる>

が、この一件で私は、今ここで述べているようなことに思い至らされた。

 

教育というのは、「相手の中に既にあるものを引き出すものである」

生長の家では教えているが、

実に、息子によって私は、自分の中にすでにある、

“実相を信じる心”を掘り起こされたような気がする。

 

「親が子供を育てる」というが、

「親は子供によって育てられる」のである。

 

生長の家総裁・谷口清超先生はご著書『幸せはわが家から』の中で次のように示されている。

<<(前略)人生はあらゆる“教材”に充ち満ちているから、

 この世を「人生教室」とか「人生学校」又は「人生大学」などと呼ぶ。

 そしてここで学ぶことは、一口に言うと、

 「人間のすばらしさ」であり、

  「全てのものはみな有難い」ということである。>>

 (同書106ページ)

 

(生長の家相愛会「父親教室」HPの「今月の講義」2002.11公開)

 


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