・愛行によって人生の意味を知る(前編)
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今号は、新潟北越教区のKさんの体験談(教区大会で発表)の前編をお届けいたします。
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愛行によって人生の意味を知る(前編)
私は2年前にインターネットで検索し、生長の家を知りました。
他にも色々と宗教がありますが、生長の家を選びました。
そして、平成26年2月15日に教化部会館を訪れて、教区練成会を受講しました。
私には過去に耐えがたい経験があり、4年前に離婚、2年前には社会的にも信用を失い、ドロップアウトを経験しました。
子ども達とも絶縁状態にまでなりました。
そのため、全く空しくなり、生きる気力がなくなって、「なぜ人間は生きなくてはならないのか?」と考え、毎日、内部から突き上げてくる苦しさでいっぱいの人生でした。
次第に酒と薬で現実逃避する生活を送るようになりました。
毎日「死にたい」と思い、死ぬ方法ばかりを考えていました。
しかし、霊的な世界から見たら、“与えられた課題”を放置したまま死んだら、生まれ変わった時にその“重し”がかかってきて、さらに苦しくなるし、また「自分を育ててくれた父母に申し訳ない」という思いもありました。
それでも、やはり苦しくて「なぜこんな逆境に、不幸な目に遭わなくてはいけないのか?」との思いもありました。
自然科学や臨床心理学、心理学の世界に答えを求めましたが、答えは得られず、「信仰の世界にしか答えはない」と思いました。
私が生長の家に求めたものは、「なぜ人間は生きなくてはいけないのか?」「なぜいつかは死んでしまうのか?」という人間的な問題でした。
男というものは社会に出て、会社や家族、子どものために働くわけですが、結果、競争に打ち勝って、名誉や地位、良い給料を得、また会社の利益なども得ても、結局、人間は死に、その名誉や家族、会社のために尽くして働いて来たことは何も残らないのです。
そのように考えている内に、「何のために人間は生きるのか?」訳が分からなくなってしまいました。
そして、次第に「人間は何のために生きるのか?」ということを、自分自身に問い詰めるようになりました。
私は魂とか霊とかは見えませんが、生長の家に入って、生きるということを、この魂や霊という視点から見ることは本当に大事なんだと分かりました。
練成会や出版されたご本を通して、死後の世界があり、魂は生き通しであること、この世の現象生活は“魂の修行の場”であると知りました。
死ぬのも怖いし、生きるのも嫌でしたが、どちらを選ぶかといったら、この“魂の練習の場”で厳しい練習に耐えて、魂を高い次元に上げることが、人間がこの世に生まれた本当の意義だと思いました。
会社で売り上げが上がらない時は、「ピンチはチャンス」という言葉を使って働いていましたが、今度は本当に「ピンチはチャンス」の状況になりました。
死ぬと、肉体と言葉はなくなります。
言葉と肉体を与えられているこの世で、苦しいけど、しっかりと練習を積んで、少しでも素晴らしい魂となってから、この世を卒業しようと思いました。
今、苦しいのは、人生のさまざまな局面における最大の局面を迎えているからだと思いました。
そう考えたら、「自殺なんてとんでもない」と思いました。
そこで具体的に実践しました。
練成会では徳積み、利他行、愛行、与えれば与えられる・・・といったことを学びましたので、後は現場での実践です。
今まで沢山の本を読んできましたが、実践したことはごくわずかでした。
やらなければ、“器”が大きくならないのです。
私は生長の家に入って信仰を学び、「これが最後の砦だ」と思い、“最後の勝負”をかけました。
(以下、次号に続く)
(2016年3月27日開催の「相愛会新潟北越教区大会」の体験発表より)
(2016.04.08、相愛会・栄える会推進課)
★★★「真理の言葉」★★★
人に見せるためではなく、神様の御心に従うために、いつもよいことをしよう。そして人々を尊敬し、自分自身をも大切にしよう。凡ての人々は皆「神の子」であり、悪い人や不完全な人など、どこにもいないのである。
谷口清超先生著『智慧と愛のメッセージ』111ページ
自分が行った毎日の「よいこと」、自分や周囲の人々の良い面や讃嘆すべき点を、日々『日時計日記』に付けましょう!
いつの間にか「よいこと」をしたり、日時計主義で生きることが心の習慣となり、喜びと明るさに満ち溢れた人生となることでしょう!