活動体験談

生長の家の真理に触れて(後編)/東京第二教区 ひばり野昌一

2015年10月30日  

前号に引き続いて、東京第二教区の壮年層会員・ひばり野昌一さんの体験談(教区大会で発表)をお届けいたします。

<<前編からの続き>>

次に、長崎の総本山での献労を通して、奉仕することの喜びと本当の幸福というものを教えていただきました。それまでの私は、仕事はお金をもらうために行う作業であって、ボランティアなどで働くことはただの苦労だと思う節がありました。先述したように、まだ被害妄想的な精神状態が残っていた頃の話です。
総本山では山の斜面の草を刈る献労を行いました。無心に一所懸命にやりました。理屈ではありません。汗と一緒に、もやもやした気持ちはすべて流れ去り、清々しい気持ちになって、みんなで協力することの喜びや役に立てていることの幸福を感じることができました。

私の人生は生長の家を信仰するまでは、損とか得とか営利的な考えにより物事を判断してきたように思います。お金や欲しい物を得ることは、一時的には嬉しいものですが、いくら得られても、満足できるような永続的な喜びではありません。しかし、何か人に喜ばれるような奉仕をすることで、内から湧き上がるような喜びを得ることができることに気が付きました。

東日本大震災の時、私は茨城教区の青年会委員長を拝命しておりました。その頃、私は仕事の関係で神奈川県相模原市へ単身赴任していたのですが、毎週土曜日には、茨城県へ戻り、教区の青年会メンバーと共に、被災した地域の手助けとなる作業を行いました。断水している家へ水を配りに行ったり、崩れた塀の瓦礫を撤去したり、崩壊した教化部の片付け作業などを行いました。それらは決して苦ではなく、誰かのお役に立てることによる生命の喜びでした。
あの当時、多くの若者が自発的に被災地へ赴き、ボランティア活動を行っていたと聞きます。多くの人々が困っている人のために何か自分を役立てたいと思い、行動しました。このことが神の子の本性なのだと感じました。

このように、生長の家の行事へ参加することにより真理の素晴らしさを学び、体験することができました。そして、私の価値観や人生観もずいぶんと変わりました。辛いことがあっても、プラスに捉えられるようになりましたし、自分のことよりも先に相手のこと、周りのことに眼を向けられるようになりました。

この生長の家の素晴らしい真理を多くの人にもっと知ってもらいたいと考えるようになり、我が家で月一回、誌友会を開催しています。茨城県にいた頃から数えると8年になります。この誌友会を通じて、真理をより大勢の人へ伝えていきたいと思っています。
ただ、私もそうであったように、真理は体験しなければ、その素晴らしさを理解することは難しいと思っています。また、宗教に対する先入観や偏見を解いて、信仰というものを受け入れてもらうことは容易ではないことは、私自身の経験からも感じます。

ですから、私の誌友会では真理を伝えることだけではなく、できるだけコミュニケーションを取ることを大切にしています。かつて私が初めて生長の家の行事に参加した時に、対面した人の温かさで警戒していた心が解けたように、参加してくれる人が温かい気持ちになれるような、そんな誌友会を目指しています。
これからも妻と二人三脚でより多くの人に生長の家を伝えて参ります。

(平成27年度 相愛会東京第二教区大会 体験談より)


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